『脳の地図を書き換える 神経科学の冒険』 デイヴィッド・イーグルマン/著

 

 何かが上達していく過程ではまさしくこうしたことが起きている。

セリーナとヴィーナスのウィリアムズ姉妹のようなプロテニスプレーヤーは、長年の訓練のおかげで白熱した試合のさなかにも正しい動きが自動的にできる。

足を踏みこみ、向きを変え、バックハンドを放ち、前に突進し、後ろに下がり、狙いを定め、スマッシュを打つ。

何千時間もの練習によって動きが無意識の脳回路に焼きつけられている。

無意識ではなくつねに頭で考えながら試合をしようと思ったら、勝てる見込みはまずない。

自分たちの脳を訓練過剰の装置に仕立てたからこそ勝利をつかむことができている。 

 

 「一万時間の法則」というのを聞いたことがあるんじゃないかと思う。

それくらい訓練しなければ、サーフィンであれ洞窟探検であれサックス演奏であれ一流にはなれないという理論である。

実際に必要な時間を厳密に割り出すのは無理だとしても、大まかな考え方は正しい。

膨大な数の反復がない限り、意識下に地図を刻みつけることはできない。

デスティン・サンドリンと風変わりな自転車の話を覚えているだろうか。

自転車の仕組みを頭では理解していてもそれだけでは乗りこなせず、練習に数週間を費やす必要があった。

サルが熊手で餌を取らなければならない場合も同じである。

結局は脳地図が道具の長さも含むように再編成され、熊手がボディプランの一部になったのはすでに説明したとおりだ。

だが、ひとつ伝えていなかったことがある。

この再編成が起きるのは、サルが自ら進んで熊手を使う場合に限られるということである。

受け身の状態でただ握らされているだけでは脳の再編成につながらない。

手にするだけでなく、その道具で繰り返し練習しなくてはだめだ。

だから一万時間の法則が生まれた。

 集中して練習した結果が神経に反映されるのは運動野からの出力(ヴァイオリンを弾く、テニスラケットを振る、熊手を操る、など)だけではない。

入力にも同じことがいえる。

医学部の学生が最終試験に向けて三か月集中的に勉強すると、脳を画像化したときに灰白質の体積が目に見えて変化している。

大人が鏡文字を読む練習をしたときにも同じような変化が生じる。

また、ロンドンのタクシー運転手を一般の人と比べると空間ナビゲーションにかかわる脳領域に違いが確認でき、左右どちらの大脳半球でも海馬の特定領域が大きくなっている。

外界に関する内的な地図が貯蔵されていると考えられている場所だ。

時間をかけて何かを行えば、それが脳のありようを変える。

人は食べたものによってのみつくられるのではない。

取り込んだ情報がその人になる。

 

以前は、脳の機能は加齢と共に衰える一方と言う考えが主流だったけど、何歳になっても変化し続けるという見方に変わってきている。

 

日々をどう過ごすかによって、脳も身体も変わっていく。

 

自分を高めていける方に積み重ねていきたいなニコニコ