スマホを触っている時は、目と指だけが忙しく働く。
身体は、全体で動かすことでバランスが取れる。
一部を使い続けると、身体の偏りを生む。
スマホに意識が向いていると、姿勢の崩れにも気付きにくい。
使っている時間が長いほど、身体に与える影響は大きい![]()
スマホを触っている時は、目と指だけが忙しく働く。
身体は、全体で動かすことでバランスが取れる。
一部を使い続けると、身体の偏りを生む。
スマホに意識が向いていると、姿勢の崩れにも気付きにくい。
使っている時間が長いほど、身体に与える影響は大きい![]()
Z世代に広がる“スマホ疲れ” SNSと完全に切れてしまうのも不安だが… いい距離感でリフレッシュする「アテンション・デトックス」とは?
SNSに疲れてしまう若者世代。さらに驚くのが、そのことに対して危機感を抱いた若者たちは、すでに「行動を起こし始めている」ということだ。
今回の調査でも、「SNSの利用時間を減らしたい」と答えた人は全体の67.6%。「スマホから離れるためにやっていることがある」と答えた人は全体の7割以上いた。では、具体的にはどんな行動をしているのだろうか。
「スマホを持たずに街を歩く『スマホなし旅行』をしてみたり、日記を書いたり陶芸や編み物をしたりなど『スマホ以外のもので手をふさぐ』ことで、集中や内省ができる時間をつくったり。読書や映画館に行くことでスマホから避けられる行動をし始めている人もいるようです」
あるいはたとえば1時間のタイマーを設定してスマホを入れておくと、その間はスマホが触れなくなる「ロックケース」を利用したり、自分がスマホを触らなかった時間の分だけ魚や植物が育つといったアプリをスマホに入れたりすることで「触らない時間」を可視化、自分のがんばりにつなげる人もいるのだという。
「それだけ、危機感はあるのだと思います。楽しみに見ていたコンテンツが実は広告で『だまされた時間が増えて』いったり、アルゴリズムのなかで自分の嗜好に合うものばかり読まされたりで、デジタル空間の仕組みにがんじがらめになっていく。そんな問題意識から『そこから離れたい』という気持ちが生まれているのでしょう」
ここ数十年で大きく変わった文化と言えば、スマホが挙げられる。
生活を便利にするための道具に過ぎないのに、依存が高くなると本当に大切なものを見失ってしまう。
自分にとってなぜ必要かを踏まえた上で、使っていかないとな~![]()
家庭によって、それぞれの文化がある。
生活リズム、食事、身体の使い方、・・・
当たり前だと思っていることが、別の家庭では違ったりする。
見た目の変化や罹る病気が、家族で似たような経過を辿ることがある。
「遺伝」と言うと、どうしようもないように思うけど、日々の過ごし方で変わる場合もある![]()
『医療と文化』 リン・ペイヤー (著)
医科学の分野における新しい成果は、これからもずっと文化というプリズムを通して評価されていくに違いない。
医学情報が世界のすみずみに浸透していけば、この本で引用した治療法の中には消えいくものもあるだろう。
しかし、文化的バイアスを色濃く宿している治療法は、その文化的バイアスが存在するかぎり何らかの形で存続していくに違いない。
それともこの考えは間違っているだろうか?
私はそうは思わない。
どの診断を採択するのか、どの治療を選ぶのか、というのは科学では「ない」。
科学的手法を用いて行われた研究は、方法や治療に、どんな利益がありどんなリスクを伴うのかということを教えてくれるが、それらを考慮すべきかすべきでないかという判断は常に文化的な尺度に基づいて行われる。
ガン患者を抱える医師は、患者が二~三カ月生き長らえる利益と、その間絶えず吐き気におそわれるリスク(不快感)をどう評価するだろうか。
医師は血圧降下剤の服用によって、心臓発作や脳卒中が多少減ることと、中高年の高血圧患者の多くがインポテンツやその他の副作用に悩まされていることをどう評価するだろうか。
どんなふうにしたら、 この患者は清潔すぎるより多少なりともばい菌にさらされる生活のほうが良いと決定できるのだろうか。
答えは簡単に出そうもない。
リスクと利益を選り分け、どの治療をすべきなのか、そもそも治療するのが正しいのかどうか、適切な回答を出してくれる数式もない。
実際、最上の治療なのかどうかを決めることができるのは、その患者自身だけなのである。
この本では、欧米の四カ国を例に挙げて、国による医療の違いについて書かれている。
起こる病気も、診断も、治療法も、その国の文化の影響を受ける。
「何が正しいか」は、場所が違えば変わるものだな〜![]()
『 [新釈] 養生訓 日本人が伝えてきた予防健康法』 貝原 益軒・著/ 蓮村 誠・編訳
病人は、養生の道を強くつつしみ、病気のことを悲しみ、苦しむべきではありません。
悲しみ、苦しめば、気がふさがって、病気がひどくなります。
病気が重くても、長くよく養えば思ったよりも病気はよく治るものです。
病気を心配して益はありません。
たたつつしんでいれば益があるのです。
もし、かならず死ぬ病気であるなら、天命で定まっていることだから、心配しても益がありません。
そのことで、人を責めて苦しめるのは、愚かなことです。
病気になったときの養生について説いています。
養生の柱は予防ですが、それは病気になる前に限らず、病気のときにも有効なものです。
つまり、予防、もしくは養生とは、人生をよりよいものにする、前に進むためのあり方を示しているのです。
これは、積極的に病気を治すという考えとも違います。
病気を治すことではなくて、健康になること、もしくはよい人生を送ることを、養生を通して示しています。
病気を治すことと、健康になることの違いは、前者は、病気を中心におき、そこに意識を向け、闘い、なくそうとするものです。
こうすることによって病気がなくなることはありますが、かならずしも健康になるとは限りません。
一方、後者は、健康を中心におき、そこに意識を向け、健康になるようにしていくものです。
そして、その結果として病気がなくなり、健康や幸福になっていくのです。
益軒は、病気を治そうとするのではなく、ふだんから健康になろうとする意識をもつように勧めています。
江戸時代に書かれた貝原益軒の「養生訓」を分かりやすく解説されている。
食べ過ぎなど生活の乱れに気を付け、日々を養生しながら過ごすことを勧めている。
何百年も前に書かれた本だけど、健康であるための根本は変わらないな~![]()