『学校がウソくさい 新時代の教育改造ルール』 藤原 和博・著

 

 授業でこうした読解を行なった後、試験に出るのは次のような四択問題かもしれない。

 「帰り道に氾濫で橋が流失した川を目の前にしたときのメロスの気持ちに一番近いものを 次の4つの中から選びなさい。イ、ロ、ハ、ニ・・・・・・」

 こうした正解主義型の授業や四択問題が繰り返されると、子どもたちは人生全般の大事な選択の局面で、どんな態度を身につけてしまうと思いますか?

――講演会でも私は大人たちにこう問いかけることがある。

無意識に先生方が児童生徒にしている「刷り込み」に気づいてもらうためだ。

 そう。

第一に、選択肢はいつも他の人が用意してくれるという態度が刷り込まれるだろう。

この場合には、先生が「イ、ロ、ハ、二」をすべて準備している。

この選択肢のことを「仮説」と呼ぶが、実際には「イ、ロ、ハ、ニ」のすべてを自分で設定する必要が生じてくる。

誰かが与えてくれるシチュエーションは稀である。
 

(略)

 

 実社会は、自分で「仮説」を導き出し、あれこれ試行錯誤しながら問題解決ができる人材を求めているから、「仮説」は他人が与えてくれると思い込んでいるのは・・・・・・かなりマズイ。

 もう1つの強烈な刷り込みは何だろう?

 それは、選択肢の中に必ず「正解」があると思い込んでしまうこと。

「正解主義」の呪縛である。

 前述のように、「イ」でも「ロ」でもなく「B」だったということは当たり前に起こる。

頭を柔らかくして、どんどん「仮説」自体を修正していかなければいけないのだ。

これを「修正主義」と呼んでいる。

 子どもたちが徹底した「正解主義」教育を受けて、それを宗教のように受けとめているとしたら、どうだろう。

デパートに商品が完成品として並んでいるように、「正解」が必ずあるという思い込みで人生をおくるとすれば……ちょっとコワイ。

 

タイトルが面白そうだったから読んでみた笑い泣き

 

世の中がどんどん変わっているのに、戦後からベースが変わらない教育現場に警鐘を鳴らしている。

 

ネットやAIが発達した時代の、「勉強」の在り方について考えさせられる。

 

自分の子供が、どう過ごせば将来に役立つか、考えておかないとな~。