古墳探訪記 -4ページ目

古墳探訪記

関東中心に古墳を巡っています。現存している古墳、削平してしまった古墳を含め、すべて写真で記録していきます。時々、神社や地形についても触れていきます。1000年以上も続いた古墳のある風景、後世に残していきたいものです。

昨年12月17日に訪れた愛媛県今治市、旧朝倉村にある多伎宮古墳群巡り、続きです。

15基の円墳からなる古墳群ですおねがい

 

↑境内に「多伎宮古墳群」と案内板がありますニコニコ

 

 

 

↑小道を進むとすぐに見えてきた多伎宮2号墳

直径約10メートルの円墳。

 

 

 

↑横穴式石室が残存しています。

太い木の真下びっくり

木の根で石室が崩壊しそう滝汗

 

 

 

↑石室内部をフラッシュで撮影

土砂でけっこう埋まっていますね。

 

 

 

↑多伎宮2号墳、角度を変えてカメラ

写真奥に多伎神社の社殿が写っています。

 

 

 

 

 

↑続いてこちらは多伎宮3号墳(多伎宮古墳3号)

2号墳のすぐ隣にありました。

直径約9メートルの円墳。

 

 

 

↑3号墳、角度を変えてカメラ

おっ!石室石材が見えますおねがい

 

 

 

↑これは中を覗けそうですおねがいおねがい

 

 

 

↑3号墳の石室内部の様子

やはり土砂で埋まってますね。

 

 

 

↑多伎宮3号墳

墳丘自体、ちゃんと残っています。

 

この日の天気予報は午後から雨。

雨が降る前にできるだけ古墳を巡ろう!と計画を立てていたのに、天気予報のことをすっかり忘れて夢中になった多伎宮古墳群巡り、明日も続きますウインク

昨日アップした禰宜屋敷1号墳から車車で移動すること数秒、愛媛県今治市古谷にある多伎神社の駐車場に到着。

 

↑駐車場近くにあった多伎神社由緒

第十代崇神天皇の時代、伊香武雄命(←饒速日命の六代孫)が初代斎宮になったとのこと。やたらに古い時代からある神社なんですねびっくり

 

 

 

↑荘厳な雰囲気がある神社ですおねがい

 

 

 

↑多伎神社の拝殿お願い

この多伎神社の社殿南側に15基からなる多伎神社古墳群が広がっているのですが、多伎宮1号墳だけ社殿の裏側にあります。

 

 

 

↑こちらは多伎神社古墳群の解説板

多伎神社古墳群は、多伎川の上流が形成した扇状地奥の谷部にあり、東西約300メートル、南北約100メートルの範囲に分布しています。この谷間に多伎神社と15基あまりの古墳があり、このうち横穴式石室をもつ円墳が3基開口しています。
(中略)
指定前にくずれていた古墳数基も横穴式石室であることから、現存する古墳も多くは同形式(6世紀後半~7世紀前半頃)のものとみられています。なお、社殿裏の1号古墳のみ、小石を積み上げて造った積石塚と思われ、他の古墳との違いが見られます。

 

 

 

↑ここまで行く道がなかった多伎宮1号墳(多伎宮古墳1号)、西側の様子

実は多伎神社古墳群巡り、この1号墳を最後に訪れてます。

 

小道を進みながら古墳群を堪能→多伎神社をあとにしようと思った際、「あれ積石塚なんか、あったかな??」と思い出し、1号墳を無事に見つけました。

 

 

 

↑多伎宮1号墳(多伎宮古墳1号)、東側の様子

直径10メートルの円墳。多伎神社古墳群の中、唯一の積石塚タイプ。

 

愛媛県今治市、旧朝倉村にある多伎神社古墳群、明日に続くウインク

昨年12月、墳活一人旅二日目に訪れた、愛媛県今治市 旧朝倉村にある古墳、続きです。

 

↑道路によって半分になっている禰宜屋敷1号墳、東側の様子

場所はこのあたり: 34.004636, 132.995190

 

 

 

↑禰宜屋敷古墳群の解説板

当1号墳は多伎川の左岸に造られた古墳である。
現在6基が確認されている。
当1号墳は無袖の横穴石室で、副葬品には須恵器・土師器・直刀・轡・鉄鏃や身に付ける装身具が出土している。石室は全長7メートル・幅2メートルあり、天井高2メートルが考えられる。
墳丘は直径13メートル前後の墳丘高3~4メートルが想定される。
主軸方向は北30度東を採っている・
遺物は美術古墳館に展示。

 

 

 

↑半分残った石室を南側から

解説板には載ってませんが、弥生土器も出土したようです。

 

 

 

↑禰宜屋敷1号墳すぐ横にある古い鳥居と狛犬

こちらの鳥居は、この奥、多伎神社の一の鳥居。

 

古くからある参道とは別に車道を造るにあたって、古墳(禰宜屋敷1号墳)が見つかる→完全に消滅させる訳にもいかず、半分だけ残したかな?

 

 

 

↑禰宜屋敷1号墳、西側の様子

 

明日から多伎宮古墳群をアップしていきますウインク