今日アップするのは、やはり日本人なら誰でも知ってる女帝、第33代推古天皇の陵墓です
※推古天皇:父親は欽明天皇、母親は蘇我氏。
↑まずは国土地理院の航空写真から
考古学的には山田高塚古墳と呼ばれています。
東西59メートル、南北55メートル、高さ11メートル、3段築成、7世紀前半築造の方墳。
↑山田高塚古墳、東側より
周辺は畑なので、やたらに目立ちます
場所はこちら: 34.511814, 135.649533
↑拝所
宮内庁から磯長山田陵(しながのやまだのみささぎ)として推古天皇と竹田皇子の合葬陵に治定されています。
第32代の崇峻天皇が暗殺され、本来なら33代の天皇として擁立されるべき竹田皇子は未成年であったため、繋ぎとして即位したのが推古天皇です。ちなみに竹田皇子の死去の時期ははっきりしないのですが、推古天皇の即位直後に亡くなったと言われています。
※竹田皇子の父親は敏達天皇、母親は推古天皇。
↑写真ではイマイチわかりませんが、肉眼ではハッキリと墳丘が見えました
↑推古天皇陵・竹田皇子墓(山田高塚古墳・磯長山田陵)、南東側より
大阪府太子町の古墳、後日に続く