↓まずは昨日もアップした航空写真から
↑国土地理院地図(赤い文字はふっき~が加筆)
今日取り上げるのは欽明天皇陵です。
宮内庁治定陵墓としての名前は檜隈坂合陵(ひのくまのさかあいのみささぎ)、考古学的な名前は梅山古墳。
普段は関東の古墳巡りが中心なので、古墳の被葬者が誰か?って、全くわからないのですが、こちらだと教科書に記載されているような人物が被葬者として推定されてるので、なんだか楽しくなります
欽明天皇と言えば、仏教公伝の時の天皇として勉強しましたよね。仏教公伝は538年と552年の2説があるので「ごみやはごごに」って覚えました
↑欽明天皇陵、南側の様子
左側が「前方」部、右側が「後方」部。
墳長が約140メートルにもなると、全体を撮るのが難しくなります
場所はこちら: 34.468558, 135.800792
↑欽明天皇陵、南西側の様子。
前方部の端です。
↑欽明天皇陵解説板
全長約140メートル、後円部径72メートル、前方部107メートル、3段築成の前方後円墳。
欽明天皇については見瀬丸山古墳に葬られたという説もあるほか、こちらの欽明天皇陵(梅山古墳)には蘇我稲目が被葬者であるという説もあります。
ちなみに、被葬者をハッキリさせるため、発掘するべきだ!という意見を見かけますが、発掘したところで、「墓誌」がある訳でもないので、結局は誰が被葬者なのか?判明することはほぼありません。
↑欽明天皇陵、拝所の様子
↑欽明天皇陵の東側にあるのが金塚古墳(平田岩屋古墳)です。
一辺約35メートル、7世紀後半築造の方墳。欽明天皇陵の陪塚に指定されています。
以前は全長約16メートルもの横穴式石室が開口していたようです。
こちらの金塚古墳(平田岩屋古墳)が吉備姫王の真墓であるという説が有力です。