3月22日からの奈良県墳活一人旅、2日目に訪れた明日香村の古墳、続きです。
↑まずは国土地理院の航空写真から
「飛鳥歴史公園館」に車を停めて、しばし徒歩での古墳巡り
大きな欽明天皇陵を右目に見ながら、まずは吉備姫王(きびひめのみこ)墓へ。
↑吉備姫王墓、北東側より
↑吉備姫王墓の解説板
墓名を檜隈墓(ひのくまのはか)と称する。孝徳天皇と皇極(斉明)天皇の生母にあたり、「日本書紀」によれば吉備姫王(吉備嶋皇祖母命)は皇極天皇2年9月になくなり壇弓岡(まゆみおか)に葬られたとある。また、「延喜式」諸陵寮には欽明天皇陵と同じ陵域内に墓があると記されていることから、現在地に指定されている。
墓域内には江戸時代に欽明天皇陵の南側の字イケダの水田から掘り出された石造物4体があり、猿石と称されている。
↑吉備姫王墓、拝所の様子
↑墳丘の様子
覗いてみたのですが、「古墳」という印象を受けないほど高さがないです
「奈良県遺跡地図」では「古墳」という記載すらされていません。
個人的感想・・・・もしかしたら欽明天皇陵の周堤の一角を「古墳」と誤認した可能性がありそう
↑こちら吉備姫王墓で有名なのが猿石
田んぼから掘り出されたものなので、いつの時代のものか?ハッキリしていません。
それにしても、見た目は「猿」ではないのに、どうして「猿石」という名前なのかな?
この猿石・・・・斉明天皇の頃とか、道教の影響大とか唱える方も多いですが、ふっき~的には全く納得できないんですよね(笑)まぁ、「説」としては面白いです。