一昨日は第30代敏達天皇の陵墓をアップしましたが、今日は第31代用明天皇の陵墓です
↑国土地理院の航空写真
あえて東隣の太子中学校も入れてみました。これで用明天皇陵の大きさが想像できますよね。
考古学的な名称としては「春日向山古墳(かすがむかいやまこふん)」。東西65メートル、南北60メートル、高さ10メートル、空堀の幅7メートル、掘の外堤まで入れると東西100メートル、南北90メートル。7世紀前半築造の方墳。
蘇我馬子の墓と言われる石舞台古墳と同じプランでの築造という説もあります。
↑河内磯長原陵(こうちのしながのはらのみささぎ)として宮内庁より用明天皇の陵墓と治定されています
敏達天皇崩御ののち、蘇我馬子の後押しもあって用明天皇が即位しています。
↑拝所、角度を変えて
↑墳丘の様子がわかります。
↑南東側より