3月24日に訪れた奈良県桜井市の古墳です
今日からいよいよ纒向(まきむく)古墳群をアップしていきます
邪馬台国の大和説を主張する人々の根拠となるのが纒向古墳群。
日本各地にある前方後円墳の原形が、この纒向古墳群から始まったと唱える方はとても多いです
↑国土地理院の航空写真(赤い文字はふっき~が加筆)
纒向小学校の東側にあるのが纒向石塚古墳です。
↑纒向石塚古墳、北側より
調査によって見つかった土器から、3世紀初頃・3世紀前半・3世紀中頃と築造時期は3説あります。
墳長約96メートル、「後円」部径64メートル、「くびれ部」幅15〜16メートル、「前方」部長さ2メートル。周濠は「後円」部側で幅約20メートルの規模。「前方」部前面では幅5メートルの規模。
周濠内部からは土器、鋤、鍬、横槌などの農具。鶏形木製品・弧文円板・建築部材などの木製品が出土。
↑纒向石塚古墳の解説板
こちらは弥生時代終末期の「墳丘墓」と古墳時代初期の「古墳」、両説を併記しています。
のちの前方後円墳の原形となるような存在であるとの指摘は多いです。
↑徳島県の萩原2号墳は3世紀初頃築造・・。
萩原2号墳も前方後円墳の元になった古墳と言われています
↑2018年3月のブログで触れた奈良県橿原市の瀬田遺跡で見つかった2世紀中頃の円形周溝墓は台形の陸橋付き。こちらも前方後円墳の原形のような印象を受けます。
↑纒向石塚古墳、「前方」部から「後円」部方向
「前方」部はほぼ喪失。「後円」部も戦争中の高射砲陣地造営のため、大きく変形を受けています。
↑南側より