奈良県高市郡明日香村越 岩屋山古墳 | 古墳探訪記

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関東中心に古墳を巡っています。現存している古墳、削平してしまった古墳を含め、すべて写真で記録していきます。時々、神社や地形についても触れていきます。1000年以上も続いた古墳のある風景、後世に残していきたいものです。

昨日は斉明天皇が被葬者であることが濃厚となってきた牽牛子塚古墳をアップしましたが、今日取り上げる岩屋山古墳も以前は斉明天皇が被葬者であると言われてましたキョロキョロ

 

↑まずは国土地理院の航空写真(赤い文字はふっき~が加筆)

地理院地図 / GSI Maps|国土地理院

 

岩屋山古墳は近鉄吉野線飛鳥駅からもすぐの場所。

こちらにあります: 34.465651, 135.797632

 

 

 

↑岩屋山古墳、南東側より

一辺約40メートル、高さ約12メートル、2段築成の7世紀中頃築造の方墳。 上八角下方墳の可能性あり。

 

 

 

↑南側からアプローチできます。

墳丘西側は宅地によって大きく削られてます。

 

 

 

↑岩屋山古墳の解説板

 

 

 

↑横穴式石室の開口部

かなり以前から開口していたようで、玄室中央から中世の土壙墓が見つかってます。

 

 

 

↑長くて立派な羨道お願い

石室の全長は約16.7メートル。羨道の長さ約12メートル、幅約1.9メートル。入口側は2段積みで奥は1段。

 

 

 

↑玄室の様子

玄室の長さ約4.72メートル、幅約2.7メートル。見事な切石積みですびっくり花崗岩製。

 

日本人なら知ってる大化の改新の頃、このような切石の技術があったんですおねがい

 

そういえば、大化の改新はなかった・・という説。以前からあります。ネットの不思議なところは、大化の改新がなかった→自分が学んできた歴史ってなんだったんだー!と、やたらに文句を言う人たちがいるんですよね(笑)ちなみに、今も大化の改新(乙巳の変)は教科書に載ってます。あっ!歴史って普遍的な理系の学問ではないので、新しいものが発見されたら、当然書き換えられますよ。

 

 

 

↑玄室から振り返って

石室内部の見事さに感動して、けっこうな時間、中にいたんですよね。堪能後、外に出たら待ってた人がいました。申し訳ありませんてへぺろ

 

 

 

↑墳丘に登ってみましたお願い

 

 

 

↑岩屋山古墳から東の方向

写真右奥に高松塚古墳がある丘陵が写っています。

 

牽牛子塚古墳が斉明天皇の陵墓という可能性が高くなったので、こちらの岩屋山古墳については斉明天皇の初葬墓だったという説と、巨勢氏もしくは吉備姫王という可能性があるそうです。

 

 

岩屋山古墳、オススメですおねがい