奈良県高市郡明日香村越 牽牛子塚古墳・越塚御門古墳 | 古墳探訪記

古墳探訪記

関東中心に古墳を巡っています。現存している古墳、削平してしまった古墳を含め、すべて写真で記録していきます。時々、神社や地形についても触れていきます。1000年以上も続いた古墳のある風景、後世に残していきたいものです。

第37代斉明天皇の陵墓の可能性大とされている牽牛子塚(けんごしづか)古墳が復元、3月6日から一般公開が始まるというニュースを見かけて、「見てみたい!」と思ったのが、今回、3月22日からの奈良県一人旅のきっかけの一つになっていますおねがい

 

↑乙巳の変(大化の改新)の有名なシーン

小学生が学ぶ教科書や資料集に載ってる有名なシーン。この絵の左上にいるのが当時の皇極天皇、のちに重祚(再び帝位に就くこと)して斉明天皇と呼ばれる女性です。

 

 

 

昨日アップした真弓鑵子塚古墳から山道を走る人進んで牽牛子塚古墳へ。

 

↑牽牛子塚古墳、西側からカメラ

 

場所はこちら: 34.466467, 135.792279

 

 

 

↑写真を撮ってる場所は標高130メートルほど。けっこう高台でした。

一辺約12.2メートル、対角線約33メートル、高さ約4.5メートル、7世紀後半~8世紀初頃築造の八角墳。

 

 

 

↑こちらの解説板には牽牛子塚古墳の名前の由来が載ってます。「牽牛子」はアサガオのこと。日本書紀に斉明天皇と間人皇女(はしひとのひめみこ)が小市岡上陵(越智崗上陵)に合葬されたことも触れられています。

 

ちなみに、その陵の前に大田皇女(おおたのひめみこ)が葬られたとの記載が日本書紀にあります。

 

 

 

↑再現されすぎて、現代のアート作品のような牽牛子塚古墳あせる

 

 

↑現地解説板を抜粋、発掘調査当時の様子

白色凝灰岩の切石が墳丘斜面に敷き詰めていることから、再現方法に間違はないのでしょうが・・滝汗

 

 

 

↑発掘調査報告書から

右奥に発掘調査前の牽牛子塚古墳が写っています。この当時の様子も見たかったえー

 

 

 

↑主体部へお願い

 

 

 

↑横口式石槨の内部が少しだけ覗けますチーン

 

 

 

↑発掘調査報告書より

発掘調査当時の様子がわかります。

 

 

 

↑発掘調査報告書より、横口式石槨内部の様子

約80トンの巨大な凝灰角礫岩を刳り抜いてますびっくり

これ、見たいなーおねがいおねがい

 

 

 

↑牽牛子塚古墳から、すぐ前にある越塚御門前古墳

 

 

 

↑越塚御門前古墳の石室が覗けるのですが・・・・

 

 

 

↑ガラスが曇っていて、イマイチわからず。奥には映像が流れていました。

 

 

 

↑発掘当時の越塚御門前古墳(発掘調査報告書から)

牽牛子塚古墳の発掘によって出た土を戻す際、たまたま割れた石を見かけて、人為的に割れてることが気になり、掘ってみたら出てきたのが越塚御前古墳です。

 

 

 

↑手前が越塚御門前古墳、奥が牽牛子塚古墳

牽牛子塚古墳には斉明天皇、斉明天皇の娘の間人皇女(孝徳天皇の皇后)が葬られ、越塚御門前古墳には斉明天皇の孫である大田皇女が葬られていることは、ほぼ間違いないのでしょうお願い