昨年末に訪れた岡山県の古墳巡り一人旅、続きです![]()
↓今日アップするのは作山(つくりやま)古墳
↑作山古墳から700メートルほど離れた場所にあるファミリーマート総社岡谷店から撮影
左側が「前方」部、右側が「後円」部。
こちらのファミマ、作山古墳を撮るために寄ったのではなく、先日ブログで触れた「ぼっこうそば 水仙亭」で昼ごはんを食べたあと、食後の一服
をしたくてコンビニに行き、ふっと見たら作山古墳が目に入ってきたという流れ![]()
最初、見た感想は、もちろん「でけぇ・・・」![]()
![]()
![]()
さすが岡山県第2位、全国で10位の古墳![]()
↑岡山県第1位は造山古墳(名前が紛らわしい
)
↑岡山県第3位は両宮山古墳
↑国土地理院の陰影起伏図より(赤い文字はふっき~が加筆)
前方後円墳の形状がよくわかるのと、段築まで確認できます![]()
↑墳丘西側の駐車場にある作山古墳の解説板
つくり山古墳と称されるほど、雄壮で巨大な前方後円墳です。
独立した小丘陵を削り、整形、加工したもので、一部に後世の改変を受けているものの、全長約282メートル、後円部径174メートル、同高さ24メートル、前方部長さ110メートル、同幅174メートルの規模をもっています。
三段に築成され、各段には密接して円筒埴輪が立ち並び、斜面は角礫でおおっています。造出しは北側には存在しますが、対照的に南側にあったかどうかは疑問です。
外周には周溝がなく、複数の残丘をのこすなど巨大な墳丘のわりには端整さを欠く面もあります。
作山古墳の規模は、全国的にみても第10位に相当し、県内では全長約350メートルで全国第4位の岡山市新庄下・造山古墳につぐもので、古墳の規模が豪族権力の反映または象徴であることからすれば、本墳の被葬者が吉備に君臨した大首長であることが想像されます。
この古墳の築造は、発掘調査がおこなわれていないのであきらかではありませんが、墳丘の形態や円筒埴輪の研究から、5世紀中葉頃と考えられています。
※吉備下道臣(きびのしもつみち)の祖、稲早別(いなはやわけ)が被葬者との説があります。
↑駐車場から墳丘に登ってみます。
「前方」部を登って行くのですが、「前方」部の高さは約23メートル、途中で息切れしてきます(笑)
↑「前方」部から「後円」部方向
↑「後円」部から「前方」部方向
↑「後円」部墳頂にも解説板がありました
↑作山古墳から見た備中国分寺
↑「前方」部の南側、赤い〇で囲った箇所
↑赤い〇で囲った箇所は、別の古墳ではなく、古墳築造時になぜかそのまま残した残丘部分。
岡山墳活旅2日目に巡った古墳は以上となります![]()











