昨年12月24日から、3泊4日の岡山県墳活一人旅、1日目の最大の目的地が両宮山(りょうぐうざん)古墳でした
↑国土地理院地図
現在は埋められていますが、2重の周溝をもちます。大仙陵古墳と相似形で約5分の2サイズ。
備前では最大規模。岡山県内だと第3位の大きさ。
↑現存する周堤の南端、「稚媛の里・農産物直売所」の駐車場。
この写真の場所はこちら: 34.738147, 134.002923
最初、周堤とはわからず、「あれ?ここにも大きな古墳があるぞ・・」と思ったほど
↑「稚媛・農産物直売所」駐車場にある両宮山古墳の字が薄くなってる解説板
墳長は約206メートル、周溝を含めると349メートル、「後円」部径116メートル、「前方」部長さ90メートル、「前方」部幅145メートル、3段築成、5世紀後半築造の前方後円墳。5世紀後半築造の大きな古墳にも関わらず、葺石・埴輪なし。被葬者は吉備上道田狭(上道国造田狭)との伝承あり。
備前地方では、両宮山古墳の築造以降、古墳の規模は小さくなっていきます。
↑セブンイレブン赤岩馬屋店から撮った両宮山古墳
セブンイレブンに車を停めて両宮山古墳へ出発です。
↑こんな「両宮山古墳ビュースポット」という案内がありました
↑ビュースポットから見た両宮山古墳
左奥が「後円」部、右側が「前方」部。
↑ビュースポットにあった案内板
墳丘裾の浸食が激しいので、保存(護岸)工事をしているようです。
↑墳丘西側の「造出し」
↑左側が「後円」部、写真右手に「造出し」
↑墳丘の東側から古墳へアプローチできる道があります。
場所はこちら: 34.740532, 134.003605
↑墳丘へ近づきます
↑こちらにも解説板がありました
↑「前方」部の先端にある両宮神社
「道」があるのは両宮神社までです
↑「前方」部の最高点までは登ってみました
↑「前方」部から「後円」部方向
藪でボーボーのため、これ以上進めず
日本書記によると雄略天皇の7年(西暦463年)、田狭(たさ)と田狭の子である弟君(おときみ)がヤマト政権から離反しようとしたため、弟君が誅殺されるという事件が発生。
雄略天皇が崩御した雄略天皇の23年(西暦479年)には田狭の妻である稚媛(わかひめ)、田狭のもう一人の子、兄君(えきみ)がヤマト政権に対して反乱を起こし鎮圧されています。
両宮山古墳の築造(5世紀後半)以降、備前地方での古墳の規模が縮小していく理由は、日本書記に記載されている事件・反乱から、ヤマト政権に対抗したものの鎮圧され、勢力が衰退したということが想像できます。
両宮山古墳に葺石・埴輪がない理由も、築造の途中に反乱→鎮圧されたという出来事が起きたため、葺石・埴輪を造る力を失ったと想像できそうです。