2月21日に訪れた愛知県安城市の桜井古墳群巡り、続きです
姫小川古墳から北に向かって歩くとすぐに↓崖古墳が目に入ります
↑崖古墳、東側より
以前はすぐ近くの姫塚古墳の「前方」部という説もありましたが、その後の調査で否定されています。桜井市が出している古墳群保存計画書には「古墳ではない可能性が高い」と記されています
↓続いて姫塚古墳
↑姫塚古墳、南東側より
碧海(へきかい)台地の端、段丘(崖線)を活用して築かれた古墳。
↑北東側より
↑墳丘北側にある解説板
南北28メートル、東西25メートル、高さ4メートル、4世紀後半築造の方墳。幅7.3メートル以上の周濠。都から配流された孝徳天皇の皇女、綾姫の墓という伝承あり。
※平成20年、平成22年と2度にわたって周辺の調査が行われており、円墳の可能性もあることや、築造年代の比定が困難と資料に記載されています。
↑解説板の所から墳丘に上がれます
↑墳頂の様子
↑墳頂の宝篋印塔・・・・折れたんでしょうね
左の方には「白鳳十辛巳年」と刻まれています。
孝徳天皇の皇女綾姫・・・・有間皇子の姉もしくは妹ってことですね斉明天皇への謀反計画が露呈して処刑された有間皇子。その謀反計画に巻き込まれたのが皇女綾姫ってことでしょうか。
姫塚古墳が7世紀の築造であれば、葬られている人物が綾姫…そんな可能性も出てきます
宝篋印塔に刻まれた元号・・・・確かに「白鳳」で時代も合致しますが、なにせ「宝篋印塔」どんなに古くても鎌倉時代・・。
↑北西側より
姫塚古墳の伝承を読んだら、以前訪れた千葉県旭市の大塚原古墳に残る耳面刀自媛の伝説をふっと思い出しました。
こちらの姫塚古墳が綾姫の墓なのか?確認する術はないですが、歴史のロマンを感じます