群馬県吾妻郡東吾妻町川戸 原町30号墳 ・ 吾妻郡中之条町山田 笛吹塚古墳  | 古墳探訪記

古墳探訪記

関東中心に古墳を巡っています。現存している古墳、削平してしまった古墳を含め、すべて写真で記録していきます。時々、神社や地形についても触れていきます。1000年以上も続いた古墳のある風景、後世に残していきたいものです。

9月6日、ふっとした思いつきで群馬県の八ッ場ダムを訪れたあと、四戸古墳群を堪能しました照れ

 

次も石室が開口している古墳を見に行こう!と車向かっている途中、「あっ!古墳」と気がつき寄ってみた古墳ですウインク

↑原町30号墳、南西側よりカメラ

「あっ!」と気がついたのはいいのですが、車車を停めるスペースがなくて大変でしたあせる

墳頂に建っている石碑・仏像はすべて川戸神社の社殿方向になっています。ちなみに、原町30号墳、石室は開口していません。

 

 

↑訪れる際は、川戸神社が目印となります

 

 

↑北東側よりカメラ

直径約12メートルの円墳。(群馬県古墳総覧では37尺との表記)

 

 

↑原町30号墳、北側の様子

 

 

 

 

↑原町30号墳、すぐ隣の川戸神社(明治2年以前の名前は首宮大明神)

 

 

↑川戸神社の鳥居、この鳥居を入ってすぐ左手に・・・・

 

 

↑いかにも古墳のような高まりがあります。

うーんあせるもしかしたら原町29号墳かもしれません。ただ群馬県古墳総覧だと29号墳の大きさは60尺(約18メートル)なんですよねびっくり

ひょっとしたら、29号墳と30号墳、逆かな?えー

 

もしくは、29号墳・・・・本殿の裏とかにあったかな?あせる

 

この川戸神社の由緒略記・・・・スゴイ内容でしたポーン

 

一部抜粋:首宮と号するは吾妻太郎行盛の首級を祭ることに因りてなり。「行盛は吾妻郡の領主にして代々岩櫃城に居城し、貞和年間、碓井郡の里見氏と戦い破れて原町立石河原にて戦歿す」と吾妻略記に云う。最後の時、敵近付候節立石に飛び上がり、自らの首切って投げ給えば不思議なる哉、その首二丁許り先なる川向うの大木の中枝に留まり霊光甚だしく、即ち行盛大明神として顕れ給いしなれば、川戸村氏子集り社を造り首宮大明神と祝い奉りし鎮守これなり。

 

吾妻川の対岸から、現在の川戸神社の所まで、首が飛んできた!ということですねびっくり

 

 

↑川戸神社の拝殿、いい雰囲気の神社でした照れ

 

 

↑拝殿・本殿

 

 

 

 

 

続いて車向かったのは、(本命の)石室が開口している中之条町にある笛吹塚古墳ですニコニコ

 

↑笛吹塚古墳、草ボーボーですガーン

もはや石室の開口部がわかりません。看板がなければ、古墳があることも気がつかないほど。この状態だと、真冬でも石室を見つけるのは難しそうです。一応、町指定の史跡。

 

 

↑国土地理院図より、赤い〇矢印文字は「ふっき~」が付け加えたもの

https://maps.gsi.go.jp/#16/36.589015/138.814140/&base=std&ls=std&disp=1&lcd=hillshademap&vs=c0j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1&reliefdata=undefined

 

 

↑解説板

現存直径約10メートル、高さ2メートルの円墳。羨道から石室まで約5メートル、石室の幅約1.1メートル、天井は大きな3つの石、両側の壁は小さい石の乱石積。

 

中之条町の古墳、次回に続くウインク