4月15日、大田原市を訪れた一番の目的が、日本三古碑の一つ、国宝の「那須国造碑」を見てみたいという願望でした。
ちょっと前から群馬県高崎市の多胡碑に興味を持ち→日本三古碑を知り→那須国造碑を知った!という流れ
(多胡碑、見に行きたいなー)
↑笠石神社の鳥居
那須国造碑は笠石神社の御神体となっています笠石神社に駐車場もありますよ。
↑解説板
↑那須国造碑(現地解説板を抜粋)、材質は花崗岩です実際に見た印象は西暦700年頃に造られたのに、石は新しいし、刻まれている字もしっかりとしているなーという印象
碑の内容を要約すると・・・・
那須国造であった那須直韋提(なすのあたいいで)は、西暦689年に朝廷から評督(こおりのかみ)という官職を賜った。西暦700年になって那須直韋提が亡くなり、その子意斯麻呂(おしまろ)が故人を偲び、この碑を建てた・・・・
要約し過ぎかな(笑)
この文章で、「7世紀後半(西暦689年)に那須国が下野国に組み込まれたこと」、「7世紀後半、郡ではなく評が使われていたこと」などがわかってきます
江戸時代になって草むらに埋もれていたこの石碑が発見され、石碑を守るためのお堂が建てられました(笠石神社)。また、石碑に刻まれた人物が古墳に葬られているかも!と想像した水戸光圀が助さんに指示し、上侍塚古墳と下侍塚古墳の発掘を行っています。
↑この奥のお堂の中に那須国造碑があります。
500円を払って、まずは碑の解説を聞き、最後に拝観します。
ふっき~1人しかいなかったのですが、一方的に説明を聞いていました。「国造」のこと、「評(こおり)」のこと、「古墳」のことなど、もちろん知っているし理解もしていますが、それらを確認されることなく約15分くらいでしょうか・・。
比較してはいけませんが、長野県茅野市の神長官守矢資料館の方は、ふっき~とちょっと会話を交わし、かなり詳しい人が来ている!とわかってくれたので、説明も平易なものは省略して、かなり突っ込んだ内容の説明をしてくれたんですよね。
申し訳ないのですが、500円を払ったにしては・・説明がイマイチの印象となってしまいました。
↑もっと碑のこと自体を聞きたかったなー御朱印目当てのオジサンと思われたかな