群馬県佐波郡玉村町角淵  軍配山古墳 | 古墳探訪記

古墳探訪記

関東中心に古墳を巡っています。現存している古墳、削平してしまった古墳を含め、すべて写真で記録していきます。時々、神社や地形についても触れていきます。1000年以上も続いた古墳のある風景、後世に残していきたいものです。

2月22日の神社巡り+古墳巡りの続きですニコニコ

ここのところ、小さな古墳、あまり目立たない古墳が続いていましたが、久しぶり大きくて目立つコゲパン古墳ですおねがい

 

↑軍配山(御幣山)古墳、南側よりカメラ

周囲は全部畑なので、やたらに目立ちますウインク古墳残土説というトンデモ説を信じる人には最高の場所でしょう

パッと見、前方後円墳にも見えますが円墳ですよニヤリ

 

 

↑軍配山古墳、北東側よりカメラ

 

1582年(天正10年)6月2日の本能寺の変後、信長より関東支配を任されていた滝川一益と、勢力回復の狙う北条氏が6月16日から4日間、この地域で激突。「神流川の戦い」と呼ばれており、滝川一益がこの古墳に登って軍配を振るったことから軍配山という名称になっています。

 

 

↑国土地理院図より

https://maps.gsi.go.jp/#18/36.293300/139.126954/&base=std&ls=std%7Cseamlessphoto&blend=0&disp=11&lcd=seamlessphoto&vs=c0j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1

航空写真だと、ハッキリ「円墳」とわかりますニコニコ

 

 

↑昭和5年に実施された調査によって中国製の内行花文鏡2面、勾玉、管玉、鉄鏃などが発見されています。直径約40メートル、高さ約6メートル、4世紀後半築造の円墳。

畑の中にあるため、直径40メートルでも大きく感じます。

 

↑やはり群馬県爆  笑「軍配山 古墳に学ぶ 郷土の歴史」と、カルタになっています。

 

 

↑墳頂付近の様子

 

 

↑墳頂から北西方向カメラ 写真中央に浅間山が写っているのですが、写真だとイマイチわからないですねあせる

 

 

↑墳頂からすぐ東側の様子カメラ

軍配山古墳に車近づいた時点で、この墓地も古墳だろうなーと思って、写真を撮っています。

 

 

↑もうちょっと走る人近寄って撮影カメラ

墓地になっている古墳。このブログをずっと見ている人であれば、こんな古墳、たくさんブログで見かけましたよねびっくり

『群馬県古墳総覧』の分布図を見ると玉村町第2号墳(玉村町№178)と、位置もバッチリなのですが、現状は「×」と完全に消滅扱いにキョロキョロ

どういうことかな??

 

 

オマケ・・・・

昨日のブログで37.5度の熱が・・と書きました。朝は体温を計らずに(計ったらメンタルダウンしそうですしw)電車♪8時ちょうどの~♪新宿発特急あずさに乗って、長野県松本市まで日帰り出張行ってきましたよあせる

 

食欲はあまり落ちていないので、帰りの電車を待っている間にニヤリ

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↑ニンニクたっぷり、長野県名物「山賊焼」の定食を食べてきましたチューうまかった~チョキ

ビールも飲みたかったのですが、風邪の間はやめておきますえーん