上里町にある帯刀古墳群、続きです
「帯刀」の地名の由来となった、源義賢の菩提寺である福昌寺境内の古墳をアップしていきます。
↑帯刀古墳群021?
福昌寺境内の南東端にあります。元は直径24メートルあった円墳。大きく変形されています。
↑福昌寺の解説板
源義賢の菩提を弔うために創建されたお寺。1582年(天正10年)、神流川の戦い(北条vs滝川)において当時の塔堂すべて焼失とあります。ただ、その2年後には再建されたそうです。
ちなみに、福昌→「ふくしょう」って、ふっき~の名字も「ふくしょう」なんですよ(笑)
「昌(しょう)」の漢字は違いますが
そんな訳で、なんだか親しみを感じるお寺です。
↑帯刀古墳群022、北側より
福昌寺境内の一番東側。車で訪れた場合、駐車場からも目立つ場所です。
↑帯刀古墳群022の墳頂、直径23メートルの円墳
↑帯刀古墳群022、南東側より
こちらから見ると、「古墳」という認識ができないくらい変形されています。
↑帯刀古墳群024、南東側より
福昌寺駐車場入口にあります。直径12メートルの円墳。
↑墳頂にはベンチが置かれています
福昌寺境内の古墳、次回に続く