今回取り上げる「塚」も、通過中に「あっ!古墳?塚?」と気がついて立ち寄ってみたものです
↑香取神社、十余一1号塚南側より
塚の名前にもなっている「十余一(とよいち)」は地名です。
江戸時代、このあたりは「田んぼ」には適していない土地だったので、幕府管理下の馬の放牧場となっており、印西牧と呼ばれていました。
明治に入って徐々に入植・開墾が始まり、今回訪れたあたりは11番目に開墾されたので、「十余一」となったそうです。現在の「八街市」は8番目の開墾地域ということですね。
↑十余一1号塚東側より
右下に写っているのは、タイムズカーシェアで借りたスズキのスイフト。
「ふさの国文化財ナビゲーション」によると、築造は「近世」となっていました。
↑十余一1号塚、北西側より
こちらから見ると円墳に見えます
↑香取神社の参道と拝殿??
明治に入ってから入植してきた人々は士族の方々。その士族の方々が、元々あった塚を利用して建立したのが香取神社なのでしょう。
↑石碑
どうにも字が途中でかすれているので、解読できなかったのですが、一番最初に「小金原開墾事件」と記されています。ネットで調べても出てきませんでした地域の資料館・博物館に行かないと内容はわからないでしょうね。
士族の人々がやって来て、田畑作りに頑張ったけど・・・・貧苦に苦しんで訴えた・・とか、おそらくそんな内容
↑ちゃんと本殿もありました
↑塚の東側に祠が2つ
オマケ・・・・
10月2日、千歳空港で飛行機を待っている間に、甘いものが食べたくなって、なんとなく買ったソフトクリームが大きくてビックリしました