上下諏訪神社境内の古墳、続きです。
↑諏訪台10号墳、西側より。表参道から見ると本殿の右手。
↑諏訪台10号墳の北側、摂末社となっています
↑祠の右上に書かれている文字がかすれているため、何が祀られているのかは読めませんでした。
↑諏訪台10号墳、南側より
直径約40メートル、高さ約5.6メートルの円墳。
根拠のない個人的な説ですが、すぐ近くに神門古墳群(次回のブログで取り上げます)。諏訪台古墳群の周囲は弥生時代の方形周溝墓がたくさん。周辺の遺跡・古墳の状況から、もしかしたら諏訪台古墳群の築造年代は3世紀前半という可能性も。
↑墳丘上に転がっていた土器片
↑反対側
両方にうっすらと刷毛目が見えるので、土師器かな?
↑別の土器系破片
↑『市原市諏訪台古墳群・天神台遺跡Ⅱ』より
緑色の矢印先が諏訪台10号墳、緑色の四角の中が諏訪台11号墳。
諏訪台11号墳は「前方後方墳」の「後方」部の一部分だけ残っています。
10号墳と11号墳をつなぐようにトレンチが2つ。ここから土師器甕が見つかっています。
↑諏訪台11号墳、知らないと古墳と気がつかない程度の高まり
墳長が40メートル近くあった前方後方墳。次回も触れますが、この養老川右岸の台地上の古墳、関東だけではなく日本全体で考えても最古級の可能性があります
成立して間もない頃のヤマト政権と上海上国との関連性。日本武尊の伝説が数多く残るこの地域・・。色んな想像ができてワクワクします