織田信長像の乖離と現代経営に生かす彼の人生-その2-
以前のお話はこちら
織田信長像の乖離と現代経営に生かす彼の人生-その1-
前回までのお話で、
信長は実は正室の子供として考えると
長子でありますが、実は父信秀から
すると3男であり、跡継ぎは実は別に
いて、長男の信広だったことを前回
お話しいたしました。
また、信秀そのものを戦国大名として
みる研究者もおりますが、実際には
主君がおり、戦国大名であったとしても、
非常に動きづらい立場であったことは
事実です。
また、信秀が存命のころには、守護に
斯波家がおり、主君としての織田大和守家
もいたため、臣従者としてそこまで
自由な活動はできなかったようです。
よって、信長は家督を相続するまでは
非常に厳しい環境に置かれていた
ことがうかがえるのです。
実際、彼が奉行職の織田家を継いでから
8年かかっております。
桶狭間の合戦から上洛するまでが
7年なので、時間的にも非常にかかった
戦いだった事がわかります。
また、そんな彼の一つの美徳として
飲酒をあまりたしなまなかったという事が
あげられます。
当時は今よりも飲酒に寛容で、朝から
晩まで何かにつけてお酒が飲まれて
ました。
農民も例外ではなく、晩御飯の代わりに
どぶろくを飲んでいたという記録も存在
します。
今よりも冠婚葬祭が多かったこともあり、
飲酒する機会も回数も多かったことは
疑いありません。
そんな状況の中でも、信長は
飲酒をあまり好まなかったようです。
下戸だったという話もありますが、
本質的に飲むことによって、暗殺
されたりとか、質の良い睡眠を
取れないこととかそういったことを
嫌っていたのかもしれません。
実際に、酒による病や錯乱だろうと
思われる描写が戦国時代の話で
よく出てきます。
酒によって社会全体が蝕まれていた、
という面が無きにしも非ずだったのでは
ないでしょうか。
我々ビジネスマンも見習いたい
ところです。とはいえ、深夜に起きた時に
いきなり馬を走らせるとかは現代人には
できませんが。
ここまでが前回までのお話です。
飲酒は楽しいもの。しかし、多飲は鬱病を発病させたり、内臓をむしばんだりします。
今回は彼の性格のお話を。
信長の性格については、常に岸不遜で
あり、苛烈で冷酷な人格像が持たれて
おります。
いわゆる激情の人のイメージですね。
これは一面では正解です。
しかし、時と場合によって、その気性を
殺す術を持っていたようです。
あるいは、時期の問題で、
浅井氏・朝倉氏・三好氏・石山本願寺・
延暦寺・六角・武田信玄が参加した
第2次信長包囲網が崩壊するまでは
この激情の人は当てはまらないと
言っていいかとおもいます。
なぜなら、武田信玄や上杉謙信、
朝廷に対してはかなりへりくだって
いるからです。
また、信長のおかげで
将軍位についたにもかかわらず、
散々信長を苦しめてきた足利義昭
は追放するだけにとどめております。
特に武田信玄に対しては、一種
異様ですらあります。無二の盟友
であり、東の抑えである徳川家康が
信玄によって領地を侵食されていても、
家康を叱り飛ばし、押さえつけ、
信玄に侵食されるがままにしています。
この状態は本格的な信長・家康連合
と武田信玄との戦いである三方ヶ原の
戦いまで続きました。
激情の人であれば、その情に
突き動かされ理性を失い武田家との
決戦に臨んだはずです。
決戦!
また、同盟が続いている間は、
毎年莫大な献上品を武田家へ
貢いでおりました。
ある時、毎年莫大な献上品を送ってくる
信長の本意を疑った信玄が、贈答品の
中にあった漆器の箱に目を付け、
家臣に削らせてみました。
すると、高々贈答品の入れ物に
すぎない漆器の箱が、幾重にも
漆を塗った大層な作りであることが
分かり信玄を大変感心させたといいます。
贈物の保護用の箱にすら、
細やかな気を使っていました。
同様に、上杉謙信にも贈答品を毎年
献上していました。それも当時かなり
上等な品々です。
その後の歴史を知っている我々からすると
信長にとって屈辱的な行為に見えます。
しかしながら、信長自身が武田家を
滅ぼす際に、自身で決着をつけずに
終わらせた所を見ると、存外そこまで
屈辱は感じていなかったかもしれません。
浅井・朝倉に対しては死後に
頭蓋骨を盃に仕立てましたから、
かなりの違いがあるように見えます。
彼は、我々が考えるよりも自分の中の
プライドを自由に操ることができたの
かもしれません。
目的の為には自分の気持ちを
抑えつけられる心の葛藤や
感情のコントロールが上手い人、
それが信長なのです。
所詮我々は感情の操り人形です。その感情を操れる人こそが大望を遂げられるのです
比類ない戦術や思考の奇抜さで
信長は評価されますが、本当に
評価すべきはその感情の
コントロールや戦略の上手さ、
目的への飽くなき執念なので
はないかと。
これらがなければ、戦国の世で
羽ばたく事はおろか生きる事すら
かないませんでした。
そんなに戦国時代は甘くないです。
少々のミスでも揚足を取るものが
いれば下剋上や謀反などによって
滅ぼされます。
親や兄弟、そして親戚筋が少なくとも
領主の座から引きずり落とそうと
待ち構えておりますから。
上杉謙信は兄弟で家督争いを行い、
謀反にも会いました。
武田信玄は親を追い落とし嫡男を殺しております。
信長は弟信勝(信行とよく記されてますが
どうやら間違いのようです)を母親の前で
殺しております。
それらをうまく乗り越えてこれたのも、
幼少期の苦労を経て得た感情の
コントロールではないかと思うのです。
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日本酒ホントの選び方 -その1-
日本酒の大間違い
ああ、嘆かわしい -日本酒ほんとのところ-
なぜ日本酒の味がわかりにくいのか
マーケティング下手の日本酒
日本酒 醸造アルコール添加のホントのところ
日本酒の取扱い
日本酒以外のお酒がおいしくなった?
だいぶ書きました
日本酒って書くネタが結構ありますね。
日本酒そのものが、実際はまだまだ
進化の途中のもだと私は思っております。
おそらくは、メーカーの方々は私
なんかよりもさらにそう思ってらっしゃる
事でしょう。
人が努力をすれば、さらに高いところに
登れる、そういうものなのだと私は思って
おります。
前回書き忘れておりましたが、
焼酎はウイスキーなどと比べるとほとんど
寝かせることなく出荷するのが一般的
でした。
しかし、15年ほど前から樽で寝かせたり、
寝かせたものをブレンドしたりと方向性を
変えたものが増えてきました。
こういう流れが日本酒のシェアを減ずる
方向に行ったのかもしれません。
事実、この手の焼酎のおかげで
焼酎が飲めるようになったという人も
私の周りには少なくありません。
お互い切磋琢磨が必要ですね。

技術を磨きこんでいかなければなりません
さて、本題の日本酒の選び方です。
人の好みは千差万別であり、私が『これ!』
っと書いてしまうと、それが一人歩きする危険性も
ありなかなか難しいのですが、
(そんなに影響力があればいいのですが(笑))
ステロタイプに固定化されてしまうと、日本酒
そのものが嫌いになってしまうかもしれませんので、
自然と気合が入ります。
何せ年間100升飲んでおりましたから(笑)。
毎日欠かさず。この経験を無駄に
しないためにも一つ自分が今考えていることを
書いてみます。
簡単に書きますと以下の通りになります。
1.値段は関係ない
2.吟醸・大吟醸などの分け方はおいしさに関して
そこまで重要ではない。
3.純米酒は美味しいとは限らない。雑味や
酸味が強く飲む価値がないものもある。
逆に醸造用アルコールを添加したもので
おいしいものがある。
4.アルコール度数は重要。安いと思って買って
見るとアルコール度数が低いことがある。
低いと味が薄くうまみが感じられない。
5.あまり好きでない人は生酒を買って
みるのが良いかも。
6.個人的には山形・静岡・福井・佐賀
のお酒をお勧め。特に山形・静岡は
癖が少なくすっきりとしていて合う料理が
多い。
うーん、おススメではなく、こだわるな、
という項目のほうが多いですね。
本当におススメなのが生酒。
その蔵が本当においしいかどうか、
そもそも飲みにくさのもととなる
変な日本酒の癖、臭いがほとんど
ありません。

酵母の発酵。まさに生きています。生酒はこの生きたお酒をほぼそのまま絞りこんでいます
中には火入れをしているような味が
する酒もありますが、そういうお酒を
売っているメーカーは記録しておき
次には買わないようにしましょう。
1.に関しては、酒造会社のコストに
よって左右される面も大きいため、
必ずしもコメなどの原価が反映されて
いるわけではなく、高いからと言って
おいしいわけではないのです。
2.この分類は、おいしさによるクラス
分けに見えますが、コメをいかに
磨いたかによって分けられるもので
あって、味とは関係ありません。
また、最近は味が濃い吟醸酒なる
ものを開発するメーカーも現れており、
味の分類にすら役に立たなくなってきました。
3.これはもう言わずもがなです。
おいしいメーカーが作ればおいしいし、
おいしくないメーカーが作ればおいしくない。
それは原料や作り方が違うというよりも
それらを吟味する段階からの技術が違うから、
という事です。
とりあえず選びかたは今回はここまで。
焼酎やウイスキーのような蒸留酒よりも
いろいろと諸条件があって難しいのが
日本酒やビール、ワインなどの醸造酒。
なぜ難しいのかと言えば、
『生き物だから』
この一言に尽きます。
蒸留酒が蒸留という過程で様々なものを
そぎ落とし、さらには寝かせることによって
樽からの風味を添加したり、無駄なものを
さらにそぎ落とすことができる上に香りや
味を上乗せできることに対して、醸造酒は、
それらの過程がありません。
そのため、醸造の技術が拙い酒造メーカー
はどうしようもありません。
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商品づくり-消費者への正しいアプローチの仕方 その3-
中小企業の商品づくり
商品づくりの王道
商品づくり-消費者への正しいアプローチの仕方 その1-
商品づくり-消費者への正しいアプローチの仕方 その2-
前回までのお話で、
それは、しっかりとしたいわゆる『モノサシ』
がないので、商品がうまく作れない、というお話を
させていただきました。。
まれに、消費者が求めるものを正確に
あてられる『モノサシ』をお持ちの方が
いらっしゃいますが、本当にまれなことで、
特殊な訓練を積んだ人でもなければ無理です。
社内資格で味覚や嗅覚の鋭敏な人を用いて
食味テストを行っている企業もありますが、
賞味期限などのテストについて利用するので
無ければ私はあまり意味がないと思って
おります。
鋭敏な人がおいしいと思うものが等しく
消費者が望む味ではないからです。
消費者の嗜好と、細かい相違が
わかるというのは全く別物です。
『これがおいしい!』
『これとこれが違う!』
というのは違うというのはご理解いただける
かと思います。
望まれているものを渡すにはどうするかは
本当に必要なことなのですが、凡人の私には
なかなか難しいことです。
そこで、私がとっている方策はどういう事か。
今回はそこからお話しできれば
と思います。

物指って重要ですよね
自分がターゲットとする顧客が何を
求めているのかを知るためには、
まず自分がターゲットとする顧客を
調べないといけません。
といいますか。
まずはターゲットは消費者のうちの
どなたかを明確に考えなければ
なりません。
わざわざ消費者のうちのを強調した
のは、消費者にだれでも彼でも
買ってもらえる品は当たり前ですが
ありません。
でも、商品開発の場に立つと、ころっと
忘れちゃうんですよね。
自分たちがいい、と思っているものだから
商品として世に出さないと、と思ってしまう。
知らず知らずのうちに立場を全く
変えて商品開発の場に立って
しまうんですよね。
でも、いざ家に帰ったり、違う商品を
手に取り消費者の立場に立つと
『なんでこのメーカーはこんなに
使いにくいもの、食べにくいもの、
おいしくないものを作るんだろう』
って思っちゃう。

おそらく、人間の本能的な機能なのでは
ないかと思いますが、与えられた役目に
最適な仮面をかぶるようです。
いわゆるペルソナですが、意外と
忘れ去られているようです。これ、すごく
重要だと思うんです。
たとえば、30代男性で、A者という会社員で
職位は班長、家族は妻、子供が2歳児1名、
乳児1名だった場合を考えてみましょう。
会社では、
部下からすると『班長』というリーダーであり、
上司からすると『部下』であり、
対外的に見れば『A社の社員』。
家に帰れば、
妻からすれば『配偶者』であり、
妻が母親として接するならば『子供たちの父親』、
幼児からすれば『パパ』であり、
子育て参加をしていれば、乳児からすれば
『だっこしてミルクをくれるママとは違う人』
してなければ
『やけにママになれなれしい同居人』
となります。
乳児と幼児で役割が違うのは、
求められるものと行動が違うからです。
成長をして親として行動が全く一緒なら
2つの父親像は1つに合一されますが、
通常は違うはずです。子供に対して
「あなたは(上の子)なんだから、
(下の子)に対して〇〇しなさい!」
って事を言ったり行動したりしてませんか?

意外とこの事実を忘れてしまうんですよね。みんなが仮面をかぶることを
このように、全くの同一人物が相対する
人間や役割の違いによって、何人もの
仮面をかぶって行動します。
いくらマンガ好きな人でも、仕事中に娯楽
として読む人はいませんし、なんにでも
唐辛子かける人であっても、デザートの
プリンにかける人はいません。たぶん。
と、このように、かぶっている仮面によって
例え同一人物でも起こす行動が違います。
って当たり前ですよね。
という当たり前のことが、商品開発の
現場では忘れられてしまっているのです。
特に中小企業で。

ついつい忘れてしまうんですよね。
これもまた、『メーカーの商品開発係』
という仮面をかぶってしまうからでしょうか。
役割を担わされれば、その役になりきるように
人間はできているようです。
とある大企業ではサラリーマンの
晩御飯開発開発のために、サラリーマン
のモニターをわざわざ仕事帰りに立ち寄らせ、
サンプルを食べてもらって感想を聞いて
いるのだそうです。
徹底してますよね。
最初この話を聞いた時には
『ふうん、忙しいサラリーマンの取り込みに
苦労しているんだな』
と思いましたが、よく考えてみますと、
実際の会社帰りのシチュエーションで
なるべく自分たちの商品が買われて
食べられる状況に近い環境を作り
出すことにより、自分たちの考えた
ペルソナの確度が近いかどうかを
試しているわけです。
実際に買われる、食べられる状況に
近い環境を作って、その役割を
担わせた、仮面をかぶらせた
というわけです。
もちろんサラリーマンをモニターで
取り込むためもあるんでしょうけれど、
今後の商品開発に必要な
ペルソナ作成のためのデータとして
活用している面が大きいと思われ
ました。
さすがに中小企業でここまで大がかり
なことができるかどうかはわかりませんが、
ただ、ここまでしなければ大企業には
到底勝てないこと、大企業ですら
ここまで徹底しているのだから、違う面から
これぐらいの深度までの切り込みを
していかないと中小企業の存続は
到底おぼつかないものと考えております。
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伝統という名のもとに
昔から食べているもの。
だからといって決して安全ではない
という事を
食品添加物の危険性ホントのところ ~7~ 伝統があっても危険な理由
食品添加物の危険性ホントのところ ~8~ 天然でも危険な理由
食品添加物の危険性ホントのところ ~9~ 長年食べてきたものは安全か?
食育ホントのところ ~4~ 伝統食の功罪 その1
食育ホントのところ ~5~ 伝統食の功罪 その2
食育ホントのところ ~6~ 伝統食の功罪 その3
でお話しいたしました。
取りこぼしもあるかもしれませんが、
概ねこれらに私の言いたかったこと
を書いております。
天然物であっても、昔から使用している
食品や薬品であっても、『安全性』に
ついては担保されておりません。
せいぜい急性毒性についての知見が
ある程度得られている、という状態で
とてもじゃないですが全面的な安心は
できない状態です。
今は発酵食品は体にいいという事で、
盛んに日本で食べられておりますが、
将来何かしら体に悪い物質が見つかり
食べられなくなる、という事も無くは
ないといえます。

安全の確保は重要です
食の安全に関して、最近の新聞記事で
気になるものがございましたので
ピックアップいたします。
台湾のお話ですが、日本も昔、薬として
使っていたウマノスズクサのお話です。
---------引用開始--------
台湾で人気の植物薬、高いがん発症率との関連 米研究
【4月12日 AFP】台湾で人気の植物薬に
含まれている成分が、台湾の
尿管がん症例の半数以上に
関連しているとする研究結果が9日、
米科学アカデミー紀要
(Proceedings of the National Academy of Sciences、PNAS)
に発表された。
問題の成分はウマノスズクサ属の植物に
含まれるヒト発がん性物質の
アリストロキア酸。ウマノスズクサは
アジアの植物薬に使われる一般的な
原材料のひとつで、減量や関節痛、
胃腸障害の緩和に効果があるとされる。
(中略)
グロルマン氏は「自然のものであれば
必ずしも安全だというわけではない。
長期の使用となればなおさらだ」と
注意を喚起している。
(c)AFP/Kerry Sheridan
---------引用終了--------
ウマノスズクサは下の写真で見ることが
できます。何種類かあるようで、これは
リュウキュウウマノスズクサです。

リュウキュウウマノスズクサです。花はかわいらしいですが、臭いはよくないそうです。
昔は日本でも蛇や虫などの解毒剤、打ち身、
炎症止め、禿の防止、腹痛止めなどとして
使われたようです。
記事の中にもあるように、ヨーロッパやアメリカ
でも摂取していた記録があり、2001年に
アリストロキア酸の入った植物性製品を
使用した2名のアメリカ人が深刻な腎障害
を起こしたとのことです。
このように、天然物であっても、伝統的な
食品であっても、全く慢性毒性に関しては
安心・安全は担保されてはおりません。
これらは、その他の有効成分のおかげも
会ったりして迷信がはびこりやすい状況に
あるといえます。

わらにもすがりたい、確かにそういうときもありますよね
今、日本は『安心・安全』という迷信に縛られて
いるのかもしれません。
もちろん、危険と分かっていて出荷するような
愚かなまねはしてはいけませんが、かといって、
完全な安全を求めるのは食品に限っては
無理な面が多すぎます。
(とはいうものの生肉食のようなものは
何が何でも廃止すべきとは思いますが。
あれも、結局は迷信の一種ですもんね。
生の獣肉を食べることで元気になるという)
むしろ、交通安全や危険な食品の流通、
生産地偽装について目を光らせるべきでは
ないかと思うのです。
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織田信長像の乖離と現代経営に生かす彼の人生-その1-
今回は趣を変えまして歴史ネタから一つ。
私の趣味の一つに『歴史』があります。
特に戦国時代が大好きで、いろいろと
本を購入し、妻にも呆れられる始末(苦笑)。
しかし、近年この趣味が、実は中小企業
の経営に生かせるのでは、と思いつき
ました。
というのも、ここ数年で今まで流布されていた
戦国時代のイメージがほとんど間違って
おり、どちらかというと今の中小企業の
経営環境に似た状況だったというのが
明らかになってきたからです。
今回は彼の出自から。
今後、戦国時代の当時の背景を交えつつ
面白い話ができたら、と思います。
最近では、信長は南蛮胴は着ていなかったのではないかという説もあります
近年まで彼についてこれほどまでに
誤解されている人も珍しいです。
日本でもっとも有名な戦国大名であり、
業績の偉大さ有名さは日本史上でも
類を見ないほどなのに、本当の出自や
苦労についてはあまり知られて
おりません。
その出自について。
彼に書かれた本などでは、織田信秀
という尾張の大名の子でわがまま
し放題で育った書かれています。
でも、じつはこれが大間違いなのです。
実は、彼は尾張守護(大名と思って
いただければ結構です。)の家臣の
そのまた家臣(あるいは、そのまた
家臣と言ってもいいかもしれません)
という身分で、守護又代の奉行職で
ありました。
一介の家臣で、会社でいう所の
代表権を持たない部長職ぐらい
というのが適当かもしれません。
つまり、押さえつけられてきた家柄
だったといえます。つまり、苦労人の
息子なのです。

これはふくろう
さらに、嫡男で織田家の後継者として
小さいころから育てられた、というイメージを
持たれていますが、これも間違いなのです。
実は、彼は3男で嫡子ではあるものの、
長男に信広というお兄さんがいました。
この信広さんは信秀の側室の子供でしたが、
優秀であったがため、後継者として育て
られていました。
この状況は、今川家との争いで彼が
太原雪斎に捕えられるまで続きました。
つまり、彼自身は後継者候補第1位
ではなかったのです。
つまり、信長は金持ちで自分が継ぐ道が
決まっていてわがまま放題の坊っちゃん
などではなく、
鬱屈した青春を送らねば
ならなかった苦労人
だったのです。
奇抜な恰好やふるまい、いわゆる
バサラ者の行動は彼の鬱憤晴らしの
側面が強かったのではないか
というのが私の考えです。

奇抜な格好は戦国の刹那的な風潮に乗らざるを得なかった信長の悲しみかも
信秀が亡くなって、奉行職の立場を継いでから、
戦国大名として尾張で君臨するまでに
のし上がるにはさらに苦労を重ねていきました。
彼が奉行職の織田家を継いでから8年かかって
おります。
当時の人間の寿命50年だったことを考えると
相当な時間が必要だったことがわかります。
『奉行職』とわざわざ書いたのは、彼の主家も
尾張下半国を収める守護又代の織田家であり、
一族衆であったからです。
実は信長は、織田家では本家からみれば、
末端の分家のまた分家ぐらいの血筋になります。
そういう意味からも、尾張をすべてまとめあげるのは
至難の業だったことがうかがえます。
案外とこういうものが好きだったかもしれません
幼少期から武田家の滅亡まで、ほとんど
休みなく働いたのは、実は心が休まる時が
なかったからかもしれません。
彼は酒をほとんどたしなまず、眠りから
覚めると、馬を気が狂ったように走らせ
あるいは水練や武芸に励んだようです。
下戸という話もありますが、戦国期は
非常に寒く、命の保証もほとんどなく
その恐怖から逃れるためか、身分の
貴賎にかかわらず朝から晩まで酒を
飲んでいました。
信長だけがそれほど酒を飲まなかったのは、
ストレスのはけ口を運動することに
求めていたからだと考えられます。
そのおかげもあって、彼の武術の腕前は
驚くべきものであったと伝えられます。
これが、織田家の機動力の根幹になって
いたのでしょう。
ボスが体を鍛えまくり、率先して働いて
いるわけですから、過信としては休む暇など
あるわけがありません。それが家臣としては、
よいか悪いかは別としてですが。
ただ、酒に逃げる事をしなかったこと、体を
鍛える方向に激情を持って行ったことは
称賛に値するものだと思います。
ちなみに上杉謙信は、朝から晩まで
酒の肴らしいものは味噌か梅干しぐらいで
暇があれば延々と飲み続けたというのは
結構有名なお話です。
そのせいで脳溢血で倒れたのではないかと。
今回は本当にさわりで、彼の苦労とその背景、
についてのお話でした。
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