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自然や芸術 食など美を 遊び心で真剣に

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木曽駒ヶ岳へ行きました 鳥取県の大山(だいせん)は北壁はアルプスの様に岩肌が厳く連なり西日本最大の素晴らしい山岳ですが、まだ登山者もいない頃、伯父と父は冬の雪景色から予測して登山道を開拓するくらい大山(だいせん)登山の先駆者でした。私も小学生の頃から夏休みには必ず毎年大山登山をして高校生の頃にはあらゆる登山ルートを歩き地図は要らないでした。当時はまだ登山ブームではなく、山小屋など少なくテントを持って行くのですが、父の帆布のテントで、とても重たく、雨降りには重さが2倍以上で、ペグは木でした。この為いつもキスリングの重さは30kgほど。 大学から社会人になると北アルプスもほぼ全山登りましたが、徐々に忙しくなり登山はいかなくなりましたが、時々日帰りで山に行くと生まれ持った 野生児の血が騒ぐというかとても嬉しいです。 閑話休題 さて、駒ヶ岳、 駒ヶ根インターを降り菅の台に車を置きバスでロープーウエイ駅へ向かうのだが、紅葉シーズンの週末は例年だったらバス停で数十名待ちロープーウエイ駅で〜3時間待たされる。一昨年は3時間待ちだと言われて諦めて帰った事もあったが、今年は待たないでバスにも乗れ、ロープーウエイもそのまま乗れてしまった。 過去数回来ているが週末に待たないでロープーウエイに乗れたのは初めてだ。 これは、コロナの影響で、と言うよりコロナのおかげと言った方が正しいのだろう。 ロープーウエイに乗ると沢山の滝と紅葉が過ぎ去っていく 千畳敷駅を降りてお花畑をほぼ水平に移動して八丁坂登り口(遊歩道分岐点)まで移動。 ここから一気に稜線の乗越浄土まで岩ゴロゴロの急な登山道になる。 岩や石がゴロゴロでもこの登山道は特に整備されてて浮石などとても少なく初心者でも登りやすい。 ところが、例年より登山者は少ないのに 登山道で所々モタモタがみえる。 10年ほど前、山ガールが流行りファッショナブルなウエアの服装が増え、最近はリタイヤ組の60アップの方達の登山が増え、皆さんそれなりのいい格好で来ているが、そういう人たちにかぎって山のマナーを知らない。 隘路で下りの者が喘ぎながら登ってくる登山者に偉そうに道を譲れと言っている。 余裕のある下りの人は喘ぎながら登ってくる登山者に気持ちよくちょっと譲るものだ。 ちょっと気を遣えば全員が気持ちよく歩けるのに。 台風一過 晴れるのは間違い無いが、まだ気候は穏やかでは無い。 急にガスが生まれ一気に広がり目の前も真っ白 景色も何も見えなくなるが しばらく待っていると山の下から消えていく ガスが晴れた青空は すぐそばに青空がある これこそ山で経験できる空の嬉しさだ。 千畳敷駅から乗越浄土迄はコースタイム1時間と書かれていたが、いつもノンストップで30分弱で登る。 乗越浄土に着くと360度 山岳が望め、風が心地よい。 ここから登山道は左右に分かれる。 右方向緩やかな上りで特に初心者向きで中岳(2925m)を通って木曽駒ヶ岳(2956m)に行くか、 左方向上級者向きの宝剣岳2931mに行くか。 いつもはのんびりと右 中岳方向へ行くのだが、今回は宝剣岳2931mへ行きました。 岩ゴロ道を10分程の上り込みで宝剣岳の岩稜地帯に入り、数ヶ所のクサリ場を上るのだが、鎖場でも鎖を使わないでも結構登れるのだが、ここは構急斜面で垂直に近く使わないと登れないところもある。 祠が二体祀られた山頂にでるが山頂は狭い岩の間に高さ2.5mくらいで幅50cmもない尖った岩。とても危険でそこには登れない。勇気を出して登る人もいるが、足が震えている。 景色は最高である。360度見渡し  若い頃からの山男の感慨だ。 頂上や誰一人いない場所で 大自然に浸ると 自分が無 自己が自然と一体して大空になる 無が自分 今回もかなわなかったが、 野営をすると こういう場所で 夜空を見たら そこには自分はいなくて  自分の涙だけがある 何故こんなに素晴らしいのでしょう ………………………… 特にこういう便利な山には特に山のマナーを知らない人が多いです。 また、初心者に限らず、経験者でもマナーを守らない(知らない)人も見かけます。ウエアを買う前に 一緒にマナーもちょっと教われば良いのに。 ほんのちょっとした事なのに。 登山道は、基本的に幅が狭いものです。人が二人横に並んですれ違うことが出来ない場所が多々あり、そういうときにどちらが先に通るか迷うこともあるかも知れません。しかし、登山ではどちらが優先されるのか一応の決まりごとがあります。 * 一人分の幅の登山道で対向者が来たときは、登る側を優先する。 * 登山道は石や岩などもあり常に下を見て歩きますが、下の人は下が見易く登ってくる人の確認もしやすいのと、登り坂は疲れやすく大変なので下りの人が山側に避ける。 * 安全にすれ違える場所が近い方が譲る。 * 団体のグループは、より少ない人数のグループを先に通す。 * 先に通りたければ、「お先にいいですか?」と声を掛けよう。 * すれ違うときは「こんにちは」、追い越すときは「お先に」と挨拶をしましょう。下界ではしなくても、挨拶をしておくと同好の趣味を持つものとしての親近感を持ってもらう事で、これから歩

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. 小さな時からシャンソンも好きでラジオやレコードで聞いた。東京で学生の頃 銀座七丁目の銀巴里にもよく行き美輪明宏 工藤勉 金子由香利など様々な歌手の歌も聞いた。 その本場パリのシャンソンの歌姫 ジュリエットグレコ 魅力的な歌声 https://m.youtube.com/watch?v=PXEiY4urU-g グレコが 来日したとき 別々の年に2回行った 東京の文化会館 新宿 厚生年金会館 だったと思うが 黒髪に黒い衣装で舞台に立ち ちょっと低音のハスキーボイスで 静かに歌い出す 秋の似合う女性だった ある秋の日 旅立った ジュリエットグレコ死去 93歳 また 一つの 歴史が 去った ………………………… 仏シャンソン歌手の大御所で、「枯葉」や「パリの空の下」などを歌ったジュリエット・グレコさんが9月23日、仏南東部の自宅で死去した。93歳だった。 1927年、仏南部モンペリエ生まれ。第2次世界大戦中、対独レジスタンスの活動家だった母親が強制収容所に送られ、自身も警察に一時拘束された。 戦後、パリ・セーヌ川の左岸で知り合った実存主義の哲学者サルトルに勧められて歌手を志した。作家のカミュや哲学者メルロポンティらとも交流。多彩な芸術と文化が花開いたこの地区の名称をとって「サンジェルマン・デ・プレのミューズ(女神)」と呼ばれた。 世界的にも最高峰の歌手と称えられ、戦後のシャンソン界を牽引する存在であったが、2016年を最後に一線から退いた。 特に1950年代から1960年代の間には数多くの映画に出演している。日本には通算22回来日しその間 日本にもシャンソン・ブームをもたらした。 黒い長い髪をなびかせ、黒ずくめの衣装で歌うのがトレードマークで、彼女はジャン・ポール・サルトルやボリス・ヴィアンらアーティストのインスピレーションを刺激し、彼らから曲の提供を受けるなどして、一線で活躍した。ジャン・コクトーが映画『オルフェ』に起用した。また『枯葉』はバレー曲、映画音楽などとして作曲され、シャンソンとして歌詞がつき、その後ジュリエットの歌で流行り、マイルス・デイビスもセッションの2曲目としてよく演奏した . ………………………… #物語のある料理 #野の花料理 #恵那の野山の蕎麦懐石 #蕎麦懐石 #十割蕎麦 #蕎麦 #超粗挽き蕎麦 #1日1組貸切 #グルメ #マクロビ #ベジタリアン #アートのある暮らし #陶芸 #ミニギャラリー #ジュリエットグレコ

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