私の実家で使う器は、ほぼ全て 丹波焼や壺屋、島根県の出西(しゅっさい)窯、湯町窯、など民藝雑器で、私も小さな時から毎日の食事や飲み物はこれら民芸品で育ちました。
出西窯は子供の頃から使っていましたし、出西窯にも3度以上は訪問していて、手と目に残っています。
出西は、手の温もりのある料理が喜ぶような使い勝手の良い器でした。
今回も出雲に行くのだからと寄らせていただきました。
18年ぶりかの訪問。
飾ってあるものはむかしからの出西ですが、
販売されている器は
たぶん 私だけがちょっと感じたことかもしれませんが、
販売されている出西は、私の知っている出西とほんの微妙に違うのです。
器の形 釉薬の 色 艶
良い言い方で言うと現代風とでもいうか、少し軽い感じ
ちゃんとした木のテーブルにも似合いそうだった器が、
イケヤやニトリの軽いテーブルに似合いそうになって
化学調味料を使った料理にも似合いそうな感じ
誰も気が付かないかもしれませんが、
なんかほんの少し、薄っぺらい工業製品に近づいている感じになっている。
現代は政治も経済も生活もすべて薄く軽い方向へ動いている。
時代の流れですが、
民の芸術 民藝も、時代に即して作られ、かわりながら生きていくのが当たり前なのですが、私とは少し離れてしまっている一抹の寂しさ。
でも、良い焼き物なんです。
今回は何も買えないで帰りましたが、次回訪問する時は
またあの「手の温もりのある料理が喜ぶような器」がたくさん並んでいるといいな。
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出西窯
島根県出雲市斐川町出西3368
ホームページより
昭和22年、出西窯は5人の若者の真っ直ぐな志から始まりました。
柳宗悦先生をはじめとする民藝運動のメンバーに指導を仰ぎ、日常を彩る、健全で美しい暮らしの器を作り続けています。
郷土の原料を大切にし、職人の手仕事による実用的な「用の美」が息づく器。
それは日々少しずつ姿を変えながら、現代の暮らしにも静かに寄り添い、毎日を心豊かに過ごせる道具となることを願っています。
出西窯の成り立ち
出西窯は1947年(昭和22年)8月、農村工業の共同体構想を掲げた5人の青年によって創業しました。同年には、陶芸家河井寬次郎を迎え指導を受け、この時に実用陶器を志すことに定まり、窯の名称を地名より「出西窯」と改めました。
山陰地方の民芸運動推進者の吉田璋也の助けなどもあり、
以後、柳宗悦先生、濱田庄司先生、バーナード・リーチ先生ら民藝運動の推進者たちの指導をうけ、実用の陶器作りに邁進してまいりました。
現在も、島根県出雲市斐川町出西の地で、
民藝の志を持ち、野の花のように素朴で、健康な美しい器、くらしの道具として喜んで使っていただけるものを作ろうと祈り願って同人が心を一つにして仕事をしております。
登り窯
工房東側に6連房の大きな登り窯があり、現在も年3~4回の窯焚きを行っています。
吉田璋也記念館
吉田璋也先生は鳥取市の耳鼻科の名医でありましたが、創業間もない出西窯の陶器作りを指導し、鳥取たくみ工藝店で取り扱って下さった恩人であり、柳宗悦をはじめ民藝運動の指導者たちと出西窯との出会いを作って下さった偉大な民藝のプロデューサーでありました。
この吉田璋也の鳥取民藝美術館だった建物2棟を譲り受け、昭和55年(1980)に出西窯に移築して、吉田璋也記念館および研修館と名付け、出西窯陶器の見本や参考品を収蔵しています。