染めと織の万葉慕情82
結びし紐はなれにけるかも
1983/11/04 吉田たすく
紐の歌のつづきです。先週は巻十四の東歌(あづまうた)の中にある紐の歌で田園調、野趣のあるほほえましい歌でした。今日は巻十四の歌ではありませんが、 巻十二に次のような、民謡ふうなたのしい歌を見つけましたので取りあげてみましょう。
当時の衣料の材料である麻をあつかった歌で
桜(さくらを) の
麻生(ふ)の下草
早く生ひば
妹が下紐
解かざらましを
桜麻、サクラアサは麻の一種でしょうか、“麻生の下草”とは、麻の生えている畠の下草で、下草は人目につきにくい物陰に生えている草の意だそうで、これは若い娘子の生長の比喩であろうといわれています。”下草早く生ひば” 少女が早く一人前の娘になっていたならば、先輩たちに紐を解かれてしまって、自分はそれが出来なかったであろう。彼女の下草の生える、のが遅かったので運よく解く事ができたのだ。
このようなおもしろい紐解く歌もありますが大かたは旅先で妻と結んだ紐を又逢う日まで結びつづけて郷を思い妻恋の切々と詠った歌がつづきます。
吾妹子が
下にも着けよと
贈りたる
衣の紐を
吾解かめやも
これは衣の紐ですがどんな事があっても解かないよと詠います。
物思ふと
人には見えじ
下紐の
下ゆ恋ふるに
月そ経(へ) にける
物思いをしていると、人には見られまい、思わせまい、けれど今まで下紐を結んでくれた妻の事を人知れず、心の底で恋しているうちに、幾月もたってしまった事だと。
濁りのみ
きぬる衣の
紐解かば
誰かも結ばむ
家遠くして
妻と別れて濁り旅、着てる着物の紐を解いたなら(下紐を解いたなら)誰が結んでくれるだろうか、家はずっと遠いのだし。
旅にても
喪(も)無く早く来と
吾妹子が
結びし紐は
なれにけるかも
旅先で凶事にあわず早く帰って来てよと、吾が妻が祈りをこめて結んでくれた紐は、旅の長さにすっかりよれよれになって、汚れてしまった。
かくのみや
吾が恋ひをらむ
ぬばたまの
夜の紐だに
解き放けずして
はなれた状態でこうまでも恋して私は一人でいるのでしょうか。 夜の下紐さえ解き放つことなしに。
先週の東歌のように妻に内しょで土地の娘と紐解く事もなく妻にむせびます。 単身赴任のサラリーマンの思いの歌でしょうか。
(新匠工芸会会員、織物作家)
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『染と織の万葉慕情』は、私の父で、手織手染めの染織家、吉田たすくが60歳の1982年(昭和57年)4月16日から 1984年(昭和59年)3月30日まで毎週金曜日に100話にわたって地方新聞に連載したものです。
これは新聞の切り抜きしか残されていず、古いもので読みづらい部分もあり、一部解説や余話を交えながら私が読み解いていきます。
尚このシリーズのバックナンバーはアメーバの私のブログ 「food 風土」の中の、テーマ『染と織の万葉慕情』にまとめていきますので、ご興味のある方はそちらをご覧ください。
https://ameblo.jp/foo-do/theme-10117071584.html
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吉田 たすく(大正11年(1922年)4月9日 - 昭和62年(1987年)7月3日)は日本の染織家・絣紬研究家。廃れていた「組織織(そしきおり)」「風通織(ふうつうおり)」を研究・試織を繰り返し復元した。
風通織に新しい工夫を取り入れ「たすく織 綾綴織(あやつづれおり)を考案。難しい織りを初心者でも分かりやすい入門書として『紬と絣の技法入門』を刊行する。
東京 西武百貨店、銀座の画廊、大阪阪急百貨店などで30数回にわたって個展を開く。
代表的作品は倉吉博物館に展示されているタペストリー「春夏秋冬」で、新匠工芸会展受賞作品。昭和32年(1957年)・第37回新匠工芸会展で着物「水面秋色」を発表し稲垣賞を受賞。新匠工芸会会員。鳥取県伝統工芸士
尚 吉田たすく手織工房は三男で鳥取県染織無形文化財・鳥取県伝統工芸士の吉田公之介が後を継いでいます。
吉田たすくの詳細や代表作品は下記ウイキペディアへどうぞ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/吉田たすく
