染めと織の万葉慕情78
人の見ぬ下紐あけて
1983/10/07 吉田たすく
紐の歌のつづきです。
沢山の紐の歌がある巻十二の中に「物に寄せて思を陳(の)ぶ」という一群の歌の最初にこんな歌がのっていました。
人に見ゆる
表は結びて
人の見ぬ
下紐あけて
恋ふる日ぞ多き
人に見える表面は何事も無いようによそおっていますが、 実を言いますと人の見えない下紐はすぐにでもあなたをだけるように、解きあけてまってるんですよ。 と
大変にエッチな思をずばり詠った歌です。 その歌につづいて「衣」又「紐」の歌とならんでいます。
人言の
繁かる時は
吾妹子(わがもこし)
衣にありせば
下に着ましを
真珠(またま) つく
遠(をち)をしかねて
思へこそ
一重衣(ひとへころも)を
一人着て寝れ
恋をする者は人の噂にのぼるのをおそれるものですが、万葉時代も今も変っていないところがおもしろいところです。 噂のうるさい時は、もしも彼女が衣であったなら下衣に着てしまいたいものを下衣のように人見につかない所で膚と膚をふれあいたいものだと詠うのです。
だけれども、そんな事を思ってはいけません。次の歌はもっとよく考えてと歌っているのです。
「真珠(またま) つく 遠(をち)をしかねて 思へこそ」とは、あらかじめ将来の事をよく考えてるからこそ、そんな事思わないで今は辛抱して、一重の衣を(さむいけれど) 私が一人着て寝ているのに、それにして思われてなりません。
白栲(しらたえ)の
わが紐の緒の
絶えぬまに
恋結びせむ
逢はむ日までに
白栲のわが下紐が切れてしまわない間に。(彼女への恋い心の絶えないうちに)。下紐を結びなおして恋の永続を祈ってまちましょう。 彼女と逢う日までは。
恋の噂を気にしながら、恋慕と理性の葛藤になやまされながらも「恋結びせむ逢はむ日までに」と永い恋いを願うのです。現代ではもうこんな恋心はなくなってしまったかもしれません。
又これにつづいて下紐の歌一首
紫の
我が下紐の
色に出でず
恋ひかもやせむ
逢ふよしをなみ
「紫の我が下紐の」は 色にかかる序文ですが、紫色の下紐を結んでいた人だったのでしょうか。
紫は高貴な人にしか使えない色でありましたから紫色高麗銘の華麗な下紐を使って居た人の歌かもしれません。思いを顔色にも見せず、違う手段もなくて恋に悩んでやせてしまう事であろう。 と、
又の歌一首
何故(なにゆえ)か
思はずあらむ
紐の諸の
心に入りて
恋しきものを
紐を結ぶには一方を輪にして片方をそれに入れて結ぶので「入る」 にかかる序です。どうしてあなたの事を思わずにいられましょうか、紐の緒のように心にしみて恋しいものを。こんなセンチメンタルな歌もありました。
(新匠工芸会会員、織物作家)
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『染と織の万葉慕情』は、私の父で、手織手染めの染織家、吉田たすくが60歳の1982年(昭和57年)4月16日から 1984年(昭和59年)3月30日まで毎週金曜日に100話にわたって地方新聞に連載したものです。
これは新聞の切り抜きしか残されていず、古いもので読みづらい部分もあり、一部解説や余話を交えながら私が読み解いていきます。
尚このシリーズのバックナンバーはアメーバの私のブログ 「food 風土」の中の、テーマ『染と織の万葉慕情』にまとめていきますので、ご興味のある方はそちらをご覧ください。
https://ameblo.jp/foo-do/theme-10117071584.html
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吉田 たすく(大正11年(1922年)4月9日 - 昭和62年(1987年)7月3日)は日本の染織家・絣紬研究家。廃れていた「組織織(そしきおり)」「風通織(ふうつうおり)」を研究・試織を繰り返し復元した。
風通織に新しい工夫を取り入れ「たすく織 綾綴織(あやつづれおり)を考案。難しい織りを初心者でも分かりやすい入門書として『紬と絣の技法入門』を刊行する。
東京 西武百貨店、銀座の画廊、大阪阪急百貨店などで30数回にわたって個展を開く。
代表的作品は倉吉博物館に展示されているタペストリー「春夏秋冬」で、新匠工芸会展受賞作品。昭和32年(1957年)・第37回新匠工芸会展で着物「水面秋色」を発表し稲垣賞を受賞。新匠工芸会会員。鳥取県伝統工芸士
尚 吉田たすく手織工房は三男で鳥取県染織無形文化財・鳥取県伝統工芸士の吉田公之介が後を継いでいます。
吉田たすくの詳細や代表作品は下記ウイキペディアへどうぞ。

