彫刻の森美術館 2023/9/11 | foo-d 風土

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自然や芸術 食など美を 遊び心で真剣に

   彫刻の森美術館は野外で彫刻を陳列する野外美術館が広まり始めていた1969年8月に、富士箱根伊豆国立公園の箱根の壮大な自然を生かして開館しました。

 広大な敷地には丘や小川、池があり、両側の山を借景とし、地平線の彼方に海が遠望できる景観を備えています。

 私が初めて彫刻の森美術館へ行ったのも、開館したこの年。

 

 1969年は高度経済成長のど真ん中。それでも日本の空港からアメリカが直接ベトナム人の大量殺戮へと爆撃に行っていたベトナム戦争の時代。そして大学紛争の時代。

 

 故郷の鳥取県で高校時代は受験勉強など一切せずサックスを吹きつづけ遊び呆けていたのに、運良く大学に受かり上京。

私の入った日大も紛争真っ最中で入学式も遅れ、校舎はロックアウト。 このため授業も新宿から京王線で府中市の郊外、人家もまばらな武蔵野台という無人駅から10分以上歩く畑のど真ん中に急遽畑を潰して「日大アウシュビッツ」と呼ばれる簡易バラック校舎が数棟作られ、バリケードで囲い、周りは機動隊が守っている中で授業は行われていた。

 元が畑なので雨の日はとてもぬかるんでどうしようもない。トタン屋根で雨が煩く、 でも、晴れた日は授業中に鳥の声、カエルの歌、虫の声も聞かれた長閑なところだった。

 

 貧乏学生で、授業の後や休日はいつもバイトをして生活費を稼ぎながら、 授業の無い暇な時は新宿の紀伊國屋書店、時々神田の古書店巡りか銀座で画廊回り(銀座は画廊が数百ありどこも無料で見られた) 時々、銀パリに行ってシャンソンを聞いていた。

 

「日大アウシュビッツ」での授業の帰り、毎週土曜日夕方にはベトナム戦争反対のフォークゲリラが新宿西口公園(JR新宿西口改札のすぐ側で、現在は西口通路と名を変えて座れなくされているが)に来て、帰宅途中の会社員、学生など5000人以上がいつも集まり平和を求め、ベトナム戦争反対の反戦歌を私も群衆の中で歌っていた。

 

 そんな1969年の秋のある休日、

 彼女と新宿で待ち合わせ、小田急ロマンスカーで箱根へ 山と湖と美術館。新宿から2時間で着くとても近い別天地だ。

 

 初めての箱根 登山電車、2人で乗るロープウェイ 芦ノ湖

オープンしたばかりの彫刻の森美術館 美術館といえば建物の中で見るものだったが、1969年オープニング当時はピカソ舘もなく、アップダウンのある広大な庭園に作品も今ほど多くはなく、ゆっくりと回りながら山々を借景としながら様々な彫刻を見て回る。

本当に素晴らしかった。

 

 でも この同じ青空の向こうでは大量殺戮が行われていると心の片隅にモヤモヤがあった。

 

 

 彫刻の森美術館はその後作品が行く度に増えて行きましたが、ここへは何度来ただろうか

  5回位かな

大学時代2回くらい 就職してからも何度か その後長い間来なかったが 久しぶりに訪問。

 とても懐かしくゆったりと そして新鮮な気持ちで 彫刻の森。

 

 

さて今回。

 

エスカレーターを降り

 

トンネルを通り

 

本館前入り口側には豊満な後ろ手に縛られ身をよじったポーズの、マイヨールの作品にしては珍しくダイナミックな動き「とらわれのアクション」1906年

 

 

 極端に存在感のある本館ギャラリー横のロダンの巨大なバルザック像。

そしてロダンを敬愛し15年間もの間ロダンの助手を務めロダンを超えるとも言われる大彫刻家ブールデルの

弓を引くヘラクレス  これはいつ見ても格好良いですね

クロード・ラランヌ 「嘆きの天使」1986年

 

 

4体のブロンズ像。

「自由」「勝利」「カ」「雄弁」この寓意的な4体の像は、アルゼンチン建国の父、アルヴェアル将軍

騎馬像の高い台座の四隅を飾っているものである。ブールデルは、同国政府の委嘱により第一次世界大戦中にこの壮大な記念像を制作した。

 

 

 

 

 ヘンリー・ムーアは彫刻を野外に展示することを好みました。
「彫刻の置かれる背景として空以上にふさわしいものはない」と語っています。独特の丸く優しいフォルムのムーア作品は遠くからでもよくわかる。 開館当初から沢山あり、今では10体もあり、これだけムーア作品を揃えるのは世界でも珍しいそうです。

 

 

 

 

 

 

ジュリアーノ・ヴァンジ  (イタリア  1931-)

 私の好きな現代イタリアを代表する具象彫刻の巨匠で、「追憶」「偉大なる物語2004年」の2体もあった。こんな所で見られるとは、嬉しいな。

ジュリアーノ・ヴァンジは石を使う現代の彫刻家で、「ヴァンジ彫刻庭園美術館」が静岡県長泉町東野クレマチスの丘にある。素晴らしい大作ばかりがあり永遠に残って欲しい美術館だが、コロナ等の影響もあり今月で閉園となっている。とても残念だ。ヴァンジは100年もしないうちに評価が格段に上がり、ヴァンジ美術館の窮状に手を差し伸べなかった静岡県は馬鹿だなっと言われる様になるだろう。この偉大な作品群は、間違いなくどこか違う場所等できちんと展示される様になるだろう。


 

 ヴァンジの彫刻の森美術館にある「偉大なる物語2004年」という作品。

白大理石(カラーラ産) 250×420×330 cm

総重量25トンを超える大理石に掘られた群像、人間の存在とその意味、人生の物語が時の流れと共に刻まれている。洞産で膝を抱えてかがむ古代の男。背後には記憶の中の女性が顔を見せ、その脇ではオリープの若木が薬を茂らせている。その横に人生の入口が開いているが、先が良くなり、人生の苦労を麦わしている。反対側には、樫の古木の葉が愛し合うカップルの顔を優しくなで、人と自然が共に生きることの大切さを表わす。その先に顔を上げる男の姿があり、苦難にあっても現代の男は希望を持って前進する。

 

追憶」

 

 

 アントニー・ゴームリー 「密着 Ⅲ」1993年


鉄 27×201×174 cm

名古屋市美術館でいつも死体の様に腹ばいになっている自身の体をモデルにしたアントニー・ゴームリーの作品。秋の日は、枯葉などが脇に溜まり、まるで放置され忘れられた死体の様にいつも感じていた作品だが、ここにもあった。

 ここでは赤い裸で芝生に大の字になっていた。芝生だからまだ柔らかく見えて良いかっと思うがやっぱり死体だね。

 

 流政之(ながれまさゆき) 「風の刻印」1979年
白花崗岩 393×310×137 cm

ニューヨークのワールドトレードセンターのシンボルとして約250トンの巨大彫刻『雲の砦』を作ったり欧米の美術館所蔵など、どちらかというと日本より欧米で有名な作家です。

 かつて流(ながれ)の出身地、四国の高松で一緒に酒を飲んだが、古武士のように豪放磊落な中に繊細さを秘めた面白い方で私の好きな作家です。

 「この作品は流(ながれ)に似ているけど、なんか違う。

流れの代表作品でよく使われる「割肌」に近いけど、流の「割肌」はもっと繊細なはず、流の方がもっと上手だな」っと話しながら近くに来たら作者は流だった😆

 

その他、

 ちょっとおとなしい岡本太郎作品 「樹人」1971年

 

 バリー・フラナガンの「ボクシングをする二匹のうさぎ」1985年

 

 ニキ・ド・サン・ファール 「ミス・ブラック・パワー」1968年

 

この美術館にはちょっとクラシックな高村光太郎の「みちのく」1953年


等々

 

 

中にはちょっと悲しい作品も。

井上武吉作「my sky hole79(天を除く穴79)」

 

鉄の箱から階段で地下にもぐり、真っ暗な中を天井に開いた10cmほどの穴を見てガラスの箱から再び出るという鑑賞者の体験そのものを作品としているのだが、穴の部分の地上の草が伸びてしまっていてよく見えないのと水滴が沢山付いて完全にぼやけて全くものにならない。

 作品という以上 意図がわかる様、鑑賞に耐えうる様、常時手を入れておくべきだ。

 

 

 

 屋内展示では

1984年会館のピカソ舘 319点のピカソコレクション

 

別の室内展示では

 ウンベルト・ボッチオーニ「空間の中の一つの連続する形」1913年

 

 ジャコメッティ「腕のない細い女」1958年


 

 フリオ・ゴンサレス「腰かける女 No.3」1935-36年頃年

 

 

 

 モディリアニのブロンズ作品 「頭部」1911-12年頃年

 

 荻原守衛の有名な「坑夫」1907年

  等々

 

じっくり見ていると時間を忘れますね。

3時間で回ろうとしましたが、私は気に入ったものは数回見るのでどうしても時間が足りなくなってしまいます。