染めと織の万葉慕情77
下紐の解くる日
1983/09/30 吉田たすく
紐の歌のつづきです。
紐の歌が万葉集に沢山のせられていますが、 第十二巻には二十数首もありました。 その巻に「旅にして思ひを(おこ)す」と、旅さきで妻を思う又は旅さきの夫を思ふ歌が集められています。
その中で紐を歌材にしている歌をひろってみました。
草枕
旅の衣の
紐解けて
思ほゆるかも
この年ころは
草枕、長旅の間に衣の紐が解けてしまったが、家で妹子(妻)といっしょに紐解いた頃が思い出されることだよ、この最近は。
草枕
旅の紐解く
家の妹(いも)し
我を待ちかねて
嘆かすらしも
妹と結びあった紐も長い旅路に自然に解けてしまった。これは、私の帰りを待ちかねてなげいているらしい。 そのしるしなんだなあ。
吾妹子(わぎもこ)し
我を偲 (しの) ふらし
草枕
旅の丸寝に
下紐解けぬ
私のあの子が私の事をしのんでいるらしい。 旅さきでの私は一人で丸寝をしているのに、あの子の結んでくれた下紐が自然に解けてしまうのは、わびしい一人寝の床で下紐を手にあの子を思うのです。
旅さきで妹をしのぶ歌には、雲、山路、舟、海などや草花を媒体に詠った歌も沢山ありますが衣、袖、裳(も)などの染織品を使った歌の方が、はだにふれる実感として読む人に伝わりその中でも紐の歌になるとなおさらの思いが感じられるのです。
それにしても「紐の解ける」と詠われると、妹の甘はだから遠のいているせつない気持ちがいっそうつたわってまいります。
でもこれらの歌は郷に吾が妹子が吾をしのんでまっている歌なのですが、旅も遠く長くなってくると、紐を解く又は解ける日がいつくるのであろうかと、あきらめもわいて来るのでしょう。
ま玉つく
をちこちかねて
結びつる
我が下紐の
解くる日あらめや
下紐ゆえになやみはいっそう身にしみてまいりました。又郷で夫をまつ妻の身になっても同じ思いです。
結える紐
解かむ日遠み
しきたへの
我が木枕(まくら) は
苔生(こけむ)しにけり
夫は遠いひな地に行って帰って来ません。互に結んだ紐を解く日は遠く、私の木枕は苔生してしまった。二人してたのしく袖巻く夜はいつの事なのか、となげくのです。
細い下紐一本にかける思いのふかさを詠います。
今の旅とちがって当時の旅は明日の命もわからないきびしいものであっただけに妹への思い背の君への思いの深さがしのばれて来ます。
(新匠工芸会会員、織物作家)

