染めと織の万葉慕情56
袖降る歌 Ⅱ
1983/05/6 吉田たすく
袖振る歌の続きです。
その袖振るというしぐさによる心の表現のおもしろさを、歌の言葉の装飾に使ったものがあります。 山や川の言葉の上につけて「袖ふる山」とか「袖ふる川」と詠っています。なんともゆかしい感じのする詠い方になるものです。
未通女(をとめ)等が
袖布留山(そでふるやま) の
瑞垣(みづがき)の
久しき時ゆ
思ひきわれは
右の歌は柿本人麿の歌です。未通女と書いて「おとめ」と読ませます。
万葉の当時は、男が女性の家に通って行く結婚生活でしたから、男が通わない女子は未婚の女の子のことですから「をとめ」ということになるのです。
そのをとめが、袖振るというのは何か思わせぶりの詠い方です。
とめが袖ふるの振るを、布留山のふるにかけているのです。布留山とは、今の天理市布留の石上神社のお社のことです。 布留山の瑞垣(みづがき) の久しき時、 布留を古にたとえて、古くから布留のがあるよう
に久しく長く、われはあなたを想っていました。と詠います。
柿本人麿でなくては詠えない、美しいいいまわしの歌です。
物に寄せて思いを陳(の)ぶ歌の一群の中の一首に、布留山でなく布留川を詠った歌があります。
吾妹子(わぎもこ) や
吾を忘らす
石上(いそのかみ)
袖布留川(そでふるかわ)の
絶えむと思へや
これも天理市の布留川を飾るため、袖振ると詠います。吾が妻よ、私を忘れないで。石上の布留川の流れの水が絶えないように、私たちの仲は絶えることなどないと思っていますよ。
近くの山や川に袖振る風情をくっつけることにより、感情をやさしく細やかな気持ちにもってきている詠い方なのです。
袖振る歌は、まだたくさんあります。
妹があたり
我は袖振らむ
木の間より
出で来る月に
雲なたなびき
これは月を詠む一群の中の一首で、妻の家からの帰りであろうか、妻の家のあたりに向かって私は袖を振ろう。それが見えなくならないように、木の間から出てくる月に、雲よ、たなびかないでおくれ。これは袖の別れの歌です。
妹は月明かりに、主の振袖を木の間から見送っていたのでありましょう。
(新匠工芸会会員、織物作家)
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『染と織の万葉慕情』は、私の父で、手織手染めの染織家、吉田たすくが60歳の1982年(昭和57年)4月16日から 1984年(昭和59年)3月30日まで毎週金曜日に100話にわたって地方新聞に連載したものです。
これは新聞の切り抜きしか残されていず、古いもので読みづらい部分もあり、一部解説や余話を交えながら私が読み解いていきます。
尚このシリーズのバックナンバーはアメーバの私のブログ 「food 風土」の中のテーマ『染と織の万葉慕情』にまとめていきますので、そちらをご覧ください。
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吉田 たすく(大正11年(1922年)4月9日 - 昭和62年(1987年)7月3日)は日本の染織家・絣紬研究家。廃れていた「組織織(そしきおり)」「風通織(ふうつうおり)」を研究・試織を繰り返し復元した。
風通織に新しい工夫を取り入れ「たすく織 綾綴織(あやつづれおり)を考案。難しい織りを初心者でも分かりやすい入門書として『紬と絣の技法入門』を刊行する。
東京 西武百貨店、銀座の画廊、大阪阪急百貨店などで30数回にわたって個展を開く。
代表的作品は倉吉博物館に展示されているタピストゥリー「春夏秋冬」で、新匠工芸会展受賞作品。昭和32年(1957年)・第37回新匠工芸会展で着物「水面秋色」を発表し稲垣賞を受賞。新匠工芸会会員。鳥取県伝統工芸士
尚 吉田たすく手織工房は三男で鳥取県染織無形文化財・鳥取県伝統工芸士の吉田公之介が後を継いでいます。
吉田たすくの詳細や代表作品は下記ウイキペディアへどうぞ。

