染めと織の万葉慕情44
酒の歌(3)
1983/02/11 吉田たすく
もう一度、大宰府で詠んだ大伴旅人の酒の歌をとりあげてみましょう。
旅人は大酒をのみ、歌を作り、歌い、騒いだ様子を表わした歌に「酔泣」(えいなき)という言葉で表現したようです。
その酔の歌が三首あります。
賢(さか)しみと
物いふよりは
酒飲みて
酔泣(えいなき)するし
まさりたるらし
黙(もだ)をりて
賢(さか) しらするは
酒飲みて
酔泣するに
なほしかずけり
賢人ぶって物を言うよりは酒飲む方がとか、また黙って利口そうにふるまっているよりは飲んで酔泣きする方がよっぽどいいよ。
狩猟、歌、舞、文筆などの遊びの道に心楽しまなくなれば、酒を飲んで酔泣きするのがよかろう、という歌も作っています。
世の中の
遊びの道に
すずしくは
酔泣するに
あるべかるらし
また玉よりも宝よりも、一杯(ひとつき)の濁り酒にまさるものなし、と詠っています。
価無き
宝といふとも
一杯の
濁れる酒に
あにまさめやも
夜光る
玉といふとも
酒飲みて
情(こころ)をやるに
あに若かめやも
さらに詠います。 言う事もする事もないほど貫いものの極みは酒だよ、と。
言はむすべ
せむすべしらず
極まりて
貫きものは
酒にしあるらし
こんなにも、酒を駆歌(おうか)して詠いつくした旅人でありました。 これらの歌は、九州の大宰府の館で作られたものばかです。しかし、旅人の酒をほむる歌は、京をこうる寂しさを無理にカバーした歌であったのかも知れません。
あの豪快な歌を作った同じ館で詠った歌に、こんなにも寂しい歌が残されているのです。
わが盛り
またをちめやも
ほとほとに
奈良の京(みやこ)を
見ずかなりなむ
私に若い盛んな時期が戻って来るであろうか。いや、戻って来ないであろう。 あのにぎやかな奈良の都を再び見ることは、おそらく出来ずに終わるであろう。
わが命も
常にあらぬか
昔見し
象(さき) の小河を
行きて見むため
私の命は永久であってくれないか、昔見た吉野のさきの小川に再び行って見るために。 旅人の両面の現れた歌として、大変興味をもって読んだことでした。
(新匠工芸会会員、織物作家)

