ひな祭り | foo-d 風土

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 桃の節句ですが、紅梅と白梅を手折ってきて飾ってみました。





60年ほど前の作品で、顔も着物も時代が付いていますが、私の母方の大叔父の廉兵衛おっちゃんの土人形です。 

(後ろの大皿は同じ鳥取県の因久山焼(鳥取藩御用窯)で50年~70年ほど前の作品です。)

ひな祭りは、もとは古代の5つの節供の1つ、五節供の2番目、「上巳(じょうし)3月3日の節供」でした。
 古く中国でみそぎをして不祥を払う行事が行なわれたのにならって、日本でも朝廷・貴族の行事として三月三日に川辺に出て、はらえを行ない、宴を張る(曲水の宴)ならわしがあり、平安時代、「紙」で作った紙雛(人のけがれを移した人形)を川に流す「流し雛」が行われました。これが次第に家に飾る「ひな人形」に代わり、江戸時代(元禄期)に庶民にも広がり祝われるようになったといわれます。
 
今もこの「流し雛」の風習が残っていますが、これも鳥取県。
 鳥取県用瀬町(もちがせちょう)の流し雛が残っています。
旧暦の3月3日男女一対の紙雛を桟俵にのせ、菱餅や桃の小枝を添えて、災厄を託して千代川に流します。無病息災で1年間幸せに生活できますようにと願う情緒豊かな民俗行事です。





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大叔父の加藤廉兵衛(かとうれんべえ)(1915-2012)
  郷土玩具作家 鳥取県伝統工芸士。
鳥取県倉吉市の私の実家から15kmほど離れた田んぼに囲まれた小さな農村に、油屋といわれた長屋門に囲まれた大伯父加藤のおっちゃんの家があり、そこに廉兵衛おっちゃんもいました。
僕は小学生3年の頃、一人で自転車に乗り時々遊びに行っていました。子供用自転車など買う余裕もない家で、乗っていた自転車は家にあった大人用です。小学生3年生には15kmって自転車では1時間以上かかる遠いところでしたが、そんなこと思わず行っていました。
 こんな田舎に大きな屋敷で大正時代建築の洋館も付属していました。モダンな白亜の洋館でなんでこんなど田舎にあるのだろうと不思議でしたが、オシャレだったんですね。
廉兵衛おっちゃんは戦争から帰ってから独自に土人形を作り出し、 遊びに行くと廉兵衛おじちゃんがいつも奥の部屋の縁側で、土をこねて人形を作っていました。 とても愛くるしい土人形は「廉兵衛でこ」「北条土人形」とよばれていました。

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加藤廉兵衛
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