河井寛次郎記念館に猫のえきちゃんに挨拶に伺いましたら、
寛次郎の木彫の代表作の兎を飾った玄関間で
正座して待っていてくれました。
抱っこもさせてくれました。
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河井寛次郎
またゆったり拝見しました
作品も生き方も
いいね!
何がいいというより
ただ いいね!
好きなんだな。
私は浜田庄司も河井寛次郎もほんの数点持っていて
「物語のある料理『野の花料理・恵那の野山の 蕎麦懐石』」でも使っていますが、
濱田庄司の方が如何にも民の技という感じで、使いやすく、けっこう多用途で使える感じですが、飾っておくには寛次郎ですね。
しかし、寛次郎の碗をつかってみると。
一見ゴツそうな抹茶茶碗ですが持ってみると掌にぴたっとおさまり、その重さがちょうど良い。
もう30年程使っていますが抹茶が旨いです。
この辺りは寛次郎の神がかった所かもしれません。
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清水寺に程近い、東山五条。大通りからひと筋それて路地に入ると、そこは静かな住宅街。 車一台がやっと通り抜けられるほどの狭い道沿いに、民家が建ち並んでいます。そんな京都の人々の生活に溶け込むようにして建っている「河井寬次郎記念館」。 土と炎の詩人。「暮しが仕事 仕事が暮し」の言葉を残した陶工・河井寬次郎の住まい兼仕事場を公開したものです。
外観は黒格子に犬矢来のある京町家風の造りですが、中に入ると山里の古民家のよう。木のぬくもりが感じられる、重厚感ある佇まいです。 建物のみならず、館内の家具や調度類も寬次郎のデザイン、あるいは蒐集によるもので、そこかしこに力強さを感じるような陶器作品が置かれ、「そこに有るべくして在る」というような存在感を放つ木彫作品たち。
木彫は100点ほど作っていますが、全てが非売品でここにくれば対面できます。
私の父は染織家でしたが、まだ20代の頃から河井寛次郎を尊敬しており、機織りの合間に寛次郎似の器を作ったりもしていました。母も父を知る前から芸術や民芸運動に興味を持ち河井寛次郎が好きで、京都五条坂の河井寛次郎邸へも数回お邪魔して奥様にも可愛がっていただいたという思い出の場所。 私がまだ生まれる前から来ていたんです。そして私も10代の頃から何度も来て、二代にわたって影響を受けています。
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河井寬次郎記念館
〒605-0875 京都市東山区五条坂鐘鋳町569
電話・FAX 075-561-3585
月曜休館 (祝日は開館、翌日休館、夏期・冬期休館あり)
10:00~17:00(入館受付16:30まで)
河井寛次郎(1890年(明治23年)~1966年(昭和41年)は天才陶芸家。陶芸のほか、彫刻、デザイン、書、詩、詞、随筆などの分野でも作品を残している。柳、濱田とともに民芸運動を立ち上げる。 類いなる才能の持ち主で、多くの陶芸家 芸術家に影響を与え、おそらくその影響は日本一だろうと思われる。
自分は陶芸家ではなく市井の一陶工だと言って、重要無形文化財保持者(人間国宝)や、様々な賞を辞退して無位無冠の陶工と呼ばれる。
(ミラノ・トリエンナーレ国際工芸展グランプリを受賞するが、出展を嫌がった河井に対し、河井に心酔する川勝堅一が独断での出品によるものです。)























































