鍵善良房 四条本店 2022.12.24 | foo-d 風土

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自然や芸術 食など美を 遊び心で真剣に

ここは民芸好きは絶対訪れて甘いものをいただきたいお店

その暖簾をくぐると

 左側に天井までの壁一面を覆う総欅造り拭き漆の大飾棚がまず目に入る。

重厚で繊細 いつ見ても素晴らしい。

 

流麗な木目や精巧な金具の一つひとつ、時を経ていっそう風格をたたえるその棚は、のちに木工芸の分野で初の人間国宝となる黒田辰秋が鍵善のために制作したもの。とても素晴らしいものです。

ここはいつも タイムスリップをした様な想いになります。

 

京都祇園で300年続き現当主で15代続く、くずきりが特に有名な和菓子屋さん「鍵善良房」。

 戦後 店を再開したとき、武者小路実篤が屋号を揮毫し、水上勉の「くずきりは京の味の王者だと思う」という文や、岡部伊都子の随筆『園の賑わい』など、多くの作家が鍵膳について書いています。

 

まず、奥に行って くずきりをいただきました。

鮮やかな緑の碗

 蓋を開けると黒光りする漆に

   真っ白なくずきり

コントラストの変化がが素晴らしいですね

 

お箸で持ち上げ

黒蜜に入れると

一瞬 のれそれの様にも見えて 面白い

 

ピラピラっと

 プリプリっと

   モチモチーっと

 

やっぱり 鍵善のくずきりはいつ食べても美味しい

 

葛粉は奈良の最高級品だね

 ツルツルっと美味しい

 

美味しい葛切りをいただいた後は、

ゆっくりとお店にある黒田辰秋(1) の家具や作品と河井寛次郎(2)の作品を拝見。

 左右の壁にドンっとあります。

 黒田辰秋27歳作品。

 

まず、小さい方の棚でも重厚な大飾棚。

次は大きな方

 

若さ故かとても大胆で繊細。依頼人の眼力もすばらしいが、さすが黒田辰秋。

素晴らしい大飾棚です。

堂々として細部までキリッとしている。 「200年はもつから」と黒田は言ったそうで、この飾り棚の値段は家一軒分ほどもしたそうです。

 

十二代当主 、今西善造は 同世代の27歳の黒田辰秋のものづくりにほれ込み、店の内装をすべて任せたいと考えていたようです。善造は1942年、30代半ばの若さで急逝したのと太平洋戦争でその夢はかないませんでしたが、箪笥やテーブル、菓子箱やくずきりの螺鈿(らでん)用器など黒田の作品がたくさん残されています。

 

この素晴らしい大飾棚には河井寛次郎の偏壺が数点飾ってあります。

 黒田辰秋は京都の出身で、漆芸家、木工家で、その作品は鋭く深く格好良く私も大好きな作家の一人で、私は彼の朱漆捻茶器を参考に陶器の天目釉ぐい呑みを作っています。

 柳宗悦・河井寛次郎などの民芸運動を盛り上げた一人でもあります。

鍵善は陶芸家の河井寛次郎が近所で懇意にしており、よくお菓子を配達したという記録がありますし、黒田辰秋とも親しいお付き合いがありました。

柳宗悦と民芸の仲間で鍵善のくずきりを食べている写真も残っています。

 

だから、鍵善に黒田辰秋と寛次郎の作品が一緒にあるのはごく自然で何ら不思議でもないのだが、

 

飾ってある偏壺を見て、いつもうれしくなります。

 

 寛次郎を代表する独特の花模様が辰砂、呉須、鉄釉で描かれた扁壷ですが、私が持っている河井寛次郎の193747歳の扁壺2つとソックリなんです。

色や形も同じで、花の一部がほんの少し違うだけ。

 

私の花扁壷は193747歳の時の作品で、おそらく同じ時か同じ日に作られた物だと思います。

 これも時々花を活けたりして使っています。

(写真の最後に私のものも載せてあります。)

 

大好きな河井寛次郎と黒田辰秋の作品が共にあり、まるで私が河井寛次郎と黒田辰秋と一緒にいるような夢の世界

  本当にウキウキします。

       うれしい時間でした。

 

さて次は鍵善から、くずきりを出前したという河井寛次郎記念館へ歩いて18(1.5km) 館長さんに会いに出かけましょう。

 

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鍵善良房 四条本店

 京都市東山区祇園町北側264

  075-561-1818 

 

鍵善は昨年近くに美術館のZENBI-鍵善良房-KAGIZEN ART MUSEUMをオープンしましたが、今回は時間がとれず、春には伺う予定です。

 

 

(1) 

黒田辰秋(1904 - 1982年)は、漆芸家、木工家。木工と乾漆、螺鈿などの漆芸で 幅広く知られる人間国宝

京都市祇園生まれ。京都の祇園町清井町に生まれた黒田辰秋は、十代で木漆工芸の分業という制作過程に疑問を持ち、素地作りから加飾までを一貫制作する独自のスタイルを確立、生涯京都を拠点に活躍して1970年には木工芸の分野で初めての重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。

黒田と鍵善の縁は、1931年、27歳の黒田に同世代であった十二代当主 今西善造が店舗の大飾棚制作を依頼したことからはじまりました。ともに京都に生まれ育ち、ものづくりを生業とする二人は親交を深め、黒田の作品に惚れ込んだ善造はその後も数々の調度を依頼し黒田もまたその信頼に見事に応えました。

 

(2) 

 河井寛次郎(1890年(明治23)1966年(昭和41年)は天才陶芸家。陶芸のほか、彫刻、デザイン、書、詩、詞、随筆などの分野でも作品を残している。柳、濱田とともに民芸運動を立ち上げる。 類いなる才能の持ち主で、多くの陶芸家 芸術家に影響を与え、おそらくその影響は日本一だろうと思われる。

 自分は陶芸家ではなく市井の一陶工だと言って、重要無形文化財保持者(人間国宝)や、様々な賞を辞退して無位無冠の陶工と呼ばれる。

(ミラノ・トリエンナーレ国際工芸展グランプリを受賞するが、出展を嫌がった河井に対し、河井に心酔する川勝堅一の独断で出品によるものである。)

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 私の父は染織家でしたが、若い時から河井寛次郎を尊敬しており、機織りの合間に寛次郎似の器を作ったりもしていました。母も父を知る前から芸術や民芸運動に興味を持ち河井寛次郎が好きで、京都五条坂の河井寛次郎邸へも数回訪問しています。その後父と知り合いますが、お互い知り合う前から、共に芸術・民芸運動・河井寛次郎が共通項目であり、このような二人が接近するのはごく自然だったのでしょう。そんな二人から生まれた私は、お腹の中にいた頃から芸術・民芸運動・河井寛次郎の影響が強かったのでしょうね。