18歳の時、
ブルーノ・タウトが「日本美の再発見」で飛騨から裏日本へ歩いたコースをたどる旅の続きです。
(私は逆回りでしたが)
1969年4月7日朝 キスリング(登山用の大きなリュック)に全ての荷物を入れ、朝9時10分発の急行白兎号で京都まで行き、京都発14時26分発のゆのくに号で金沢着17時45分。
金沢駅から寺町3丁目までバスに乗り高岸寺へ。高岸寺は古刹だが宿坊があり1泊2食付1500円だった。今から見るとすごく安いですが、バイト代時給150円の約10倍。今バイト代は900円くらいですから9000円相当になりますが、当時こんな安い宿はあまりありませんでした。
翌日6時に起きて8時に兼六園、
金沢城。尾山神社をみて、朝9時36分発の快速で石動へ行き、そこから白川郷へは、旅費を浮かすために途中はヒッチハイクで歩き始めました。
道路に立って通りがかった車を止め、「白川郷へ行きたいのですが、近くまで乗せていただけませんか」何台かたずねる。
乗用車はあまり停まらない。 商用車やトラックが確率が高い。
うまく酒屋の車に乗せてもらい、20km先の荘川峡の小牧へ。
春とは言え、ここら辺はまだ冬。雪も残っている。
ところが、小牧から南は道路工事で行かれるかどうかわからないらしい。
仕方ないから西に迂回して城端からいこうと思い、また道路に立って何台かの車に城端へ行きませんかっと尋ね、牛乳配達の車で10km先の城端へ。
城端から徒歩で1kmほど歩いたら、
ショック。
雪崩で通行禁止だった。
ルートは2つしかないから、先程の荘川峡の小牧の道路工事は通れるかもしれないと思い、小牧へ逆戻り。
小牧で荘川峡の上流へ行く船で行こうとして、運行時刻を見ると長い間待たねばならない。
待っていたら、午後2時、軽自動車の人が通れるかもしれないから行くというので、その軽に乗せてもらった。
荘川峡はダム湖で、広い川のような湖の横を道路が走っているが、道の横には雪が1~2m以上積もっている。
雪が所々湖に流れ落ちた雪崩の跡や、雪崩の雪を切って通れるようになったところを通っていく とてもとてもガタガタのひどい道だ。
途中、合掌造りの重要文化財、五箇山の村上家へ寄りとても素晴らしく大きな建物をただ一人拝見。
観光客も誰もいない五箇山を超え、ようやく県境。小牧から30km程、岐阜県に入り白川村の小白川。
ところまた 大変なアクシデント発生。
ここから先15km程は車は通行止め。
車は逆戻りだ。 仕方ない。ここで車を下ろしてもらったが午後5時10分。
歩き始めた。
歩いて夕方になる 寒くてあぶない頃、
ダム工事用のトラックが1台通りかかって、なんとか乗せてもらい、暗くなったので、その工事の飯場で泊めてもらった。
本来、計画では高山についているはずなのだが、どうしようもない。
飯場でもどんなところでも暖かいところはありがたい。
翌日、山道をひとり。歩き始めた。誰もいない車の通れない道沿いに雪の積もった物音ひとつしない白と緑の世界。
きれいだ
大自然ひとりぼっち
静寂の中 自分の足音だけが続く
遭難と同じ感じ。
写真の右下白っぽいのは道の端に積もっている雪
荘川峡の山道をどれだけ歩いたかわからないが歩く。
もう助けて欲しい
徒歩16km以上 白川郷荻町近くでなんとか車に乗せてもらい、やれやれ。
観光客のいないすばらしい荻町の合掌造りをみて、白川郷はまだ観光地と言えるようなところではなく、古い宿屋はありましたが、合掌造りの民家が宿屋を1軒始めたところでした。
その合掌造りの民宿は、泊まり客は僕ひとり。
宿のご主人と奥様がわざわざ部屋に来られて、正座して三つ指を揃えて丁寧に挨拶をされました。
この18歳になったばかりの若造に勿体無いことです。
初めての客商売 あまりにも気遣いされ、大きな合掌造りの大きな囲炉裏でご主人が私一人のために岩魚などを焼いてくださる。
江戸時代からそのまま眠っている様な部屋に絣の布団
まさに江戸時代にタイムスリップの様だ。
宿賃は安いし、若造だし、申し訳ないようなとてもありがたい心で満たされました。
白川郷合掌造り集落を堪能したところで、またヒッチハイク
「高山へ行きたいのですが乗せてくださいと」様々な車に声をかけて行く。途中までは行くという車に乗せてもらいまた次の車を見つけてようやく飛騨高山へ。
飛騨高山で古い宿に泊まりたかったので、
江戸時代から続く商人宿、高山市上一之町の「冬頭屋」へ泊まりました。ここも古き良き時代感。
冬頭屋は今も営業されていて、現代は旅館ではないですが、古い趣を残しながら日本料理店として営業されているようです。
古い商人宿を楽しんだ翌日
早速高山観光。
偶然、春の高山祭の直前だったので、各町々の道路で、祭り屋台の飾りたてをしていました。
観光客がいないところで素晴らしい高山祭の屋台をすぐ目の前で一人で独り占めで見ることができました。
あの厳しく寒い山歩きがこの喜びを用意してくれていたのです。
その後で、ようやく日下部民芸館へ。
ここは素晴らしい建築美です。梁の美と民藝品。しっかり楽しみ、や陣屋などを見て周り、南へ下り、下呂へ。下呂はブルーノタウトの言う通りだろうと思いながらも一応確認で散策。
やはりつまらなかった。
更に南下して、日本ライン下りから夕刻 豊田市の叔父の家に泊まり、明治村、田縣神社へ行き名古屋駅から東京へ。翌日、大学の入学式でした。
5泊6日の旅は倉吉から名古屋まで650km ヒッチハイクが231km。
アクシデントと
静寂と研ぎ澄まされたような美しい大自然、人の成せる美を十分に感じ
磨きたいと思った18歳の旅でした。





