倉吉の文化を支えた彫刻家・伊藤宝城 | foo-d 風土

foo-d 風土

自然や芸術 食など美を 遊び心で真剣に

伯父 伊藤宝城が「倉吉の文化を支えた彫刻家・伊藤宝城」として2022年10月8日の山陰地方の大手新聞に載りました。

〈記事内容〉

芸術の秋、今日から米子市美術館では第66回県展が始まります。

 約70年前、第5回県展の開催を前に、県展がより意義ある展覧会になるよう提言した彫刻家がいます。倉吉市在住の彫刻家・伊藤宝城(本名・博)です。宝城の本業は医師で、戦前は大阪、戦後復員してからは生まれ育った倉吉市広瀬町で開業しました。戦前から彫刻を独学で始め、戦後は白セメントを使用した抽象彫刻を創作しました。 1953年に二科展初入選、翌年には特待賞を受賞した宝城は、平和や祈りをテーマとした作品を多く制作しています。

 代表作の一つは沖縄県糸満市の沖縄戦跡国定公園内に設置されている 〈姫百合の女神像》(1950年)です。陸軍病院で看護要員として従事したひめゆり学徒隊に思いを寄せ、「彼女たちの翼となれ」と4年がかりで制作しました。

占領下の沖縄への作品輸送は困難を極めましたが、琉球大関係者の力添えにより無事に届けられ、1952年の慰霊祭では多くの人々が像の前で手を合わせる様子が記録されています。

 俳句、詩もたしなんだ宝城は、倉吉文芸協会の設立に参加、機関誌『ごろくと』の編集に携わりました。「ごろくと』第2号(1954年)「県展の存否」に、県展開催を喜ぶ一方で審査のあり方などについて厳しい意見を発表しています。

 宝城の家は文化人が集まるサロンとなり、棟方志功などが来倉する際には宿泊費などを負担し倉吉の文化を支えました。宝城の弟には、医師で油彩を描いた武、東京美術学校を卒業した彰(戦没死)、染織家・吉田たすくがいます。来月、北栄みらい伝承館で開催される「生誕100年吉田たすくとゆか

りの作家展」では、上神焼で焼かれた宝城の陶彫《平和を語る》が展示されます。 (学芸員・伊藤泉美)

----------------------

伯父 伊藤宝城の作品

「姫百合の女神像」

写真のように、1952年設置時から姫百合の慰霊碑の前にあり、後ろに慰霊碑と戦没者の碑文が見えます。

 現在は、何十年後の慰霊碑の建て替え時に5m程離れたガラスケースに入れて建っています。

 

 沖縄に送る前に伊藤病院の前で撮った記念写真に1歳の私も載っています。

 

 「鬼手天心像」

 伊藤病院は倉吉以外に鳥取市でも1891年に県下最大の伊藤病院 (因幡病院(現在の鳥取県立中央病院))を開院していましたが、1931年に鳥取市に寄贈します。その後、昭和31(1956)年に鳥取県立中央病院の礎となった伊藤家の貢献に対する顕彰碑として、伊藤本家の子孫で彫刻家の伊藤宝城に依頼した鬼手天心像が病院玄関に建立され、現在も飾られています。

 鳥取県立中央病院沿革 鬼手天心像

https://www.pref.tottori.lg.jp/281525.htm