よく、ご相談の中で、こうおっしゃる方がいらっしゃいます。
「わたしの気持ちがわかりますか」
先日お答えさせていただいたご相談の中にも、
「わかりますか?」の一行がありました。
正直にお答えしますね。
わかりません。
だって、わたしはわたしで、あなたではないのですから。
あなたの気持ちは、わかりません。
ただ、わたしは人生経験だけは、かなり豊富です。
ここは自信あります。
だから、同じような経験をしたかどうか、と聞かれれば、
今回の、
「復讐したいと思う」
については、同じような経験はある、と申し上げます。
胸がえぐられるような思いをし、
復讐さえ考え、
相手と相打ちなら上等。
そんなことまで考えました。
そして、それを乗り越えました。
だから、このご相談にお答えしました。
わたしが乗り越えられたのですから、
この方も乗り越えられると思ったからです。
でも、この方のように、
「わたしの気持ちがわかりますか」
と、なっているうちは、きっと越えられません。
それは、この方が望んでいるのは、
復讐をすることでも、
その思いを乗り越えることでも、
未来を見つめることでも、ないからです。
この方の望んでいるのは、
「わかるわ。
あなたの気持ち、わかる」
の同調だからです。
わかるわ~~~~。
と言ってくれる人はいると思います。
でも、ごめんなさい、わたしには言えません。
なぜなら、同じような思いをしたからこそ、言えるのは、
例え、同じような経験であっても、
まったく同じものはない。
からです。
あなたの経験は、あなただけのものであり、
あなたがそれから受けた思いも、あなただけのものであるからです。
そこでです
お釈迦様が、生まれたその時に7歩お歩きになり、
「天上天下唯我独尊」とおっしゃった、とされています。
そのことについて、わたしなりにお答えしたいと思います
わたしたちは上のように、
同じような経験をしようとも、
それに対する背景も、
繋がりも、
思いも、
対応も、
何もかもがすべて、「この世においてわたしだけのもの」
であります。
誰でもなく、私たち自身の思いを持ち、
背負い、
物事にあたらなければなりません。
その事実を見ても、大層なことではなく、
驕りでもなく、
わたしたちはこの世に、ただ1つの、
「わたし」というものを、生きるために生まれてきた。
といえるのではないでしょうか。
わたしはわたしを生きるしかなく、
あなたはあなたを生きる。
わたしの道は、わたしが歩かねばならぬ道であり、
あなたの道は、あなたが歩まねばならない。
だからこそ、その生きる道は、それぞれが唯一の、
尊いものではないのでしょうか