てっちゃんのまったり通信

てっちゃんのまったり通信

yahooブログから引っ越してきました。引き続きよろしくおねがいします。



「テツは朝食を食べない」

とあるyoutuberが語る。

好きで食べない訳ではない。

東横イン米子の朝食サービスの準備を空腹を抱えながら横目でチラリ。

その前を素通りし三脚を抱え米子駅に向かう。

これまで特急やくもを追いかける時は中国山地真ん中の新見に宿を取っていたが

今回は日本海側まで突き抜けて、この地方の地図を見るといつも気になっていた

宍道湖、中海を絡めての撮影できないかと考えた。

天候が許せば大山背景での撮影も可能かもしれない。

天気予報のお姉さんは優し気な笑みを浮かべ

「全国的におだやかな晴天にめぐまれるでしょう。」

と言っている。

耳にした金言とは裏腹の鉛色の空。

米子はどうやら予報範囲外らしい。

水は空を写す鏡。

鉛色の空であれば水も鉛色になる。

青い水辺の写真を残したいのであれば晴天は必須。

空を仰いでは万一の回復を願って毎日

天照(あまてらす)の神のご機嫌を伺いに撮影地に向かう。

滞在期間は4日間。

ため息をつきながら2日が過ぎた。

中国山地の向こう側は晴天が続いているらしい。

これは、撮影場所を間違えたかな。そんな後悔も頭をよぎった。

明日は帰京するという3日目。

やっと天照の女神があくびをしながら岩戸からお出ましになった。

東に日本海、西に宍道湖とつながる中海。

中海を渡る中海大橋の一番高いところから神社のある小さな浮島越しに

山陰本線の線路が見渡せる。

お社だけがある小さな小島(どうやって参拝するのだろう、やはり舟だろうか)

を巻くように国鉄特急色がその姿を現した。

ここは海水と淡水が混ざった汽水湖。

恥ずかしいが、汽水と言う言葉を初めて知った。

そこでは、淡水に海水が忍び寄ってくると水面が青く反応するようだ。

時間帯によっては真っ青な水面になるというが、この日は淡海混成群。

現地に到着した時は、全く青くなくガッカリしていたが、

時が経つにつれて海水が忍び寄ってくれた。

全面青は、また次の機会に。

夢中になっていて気付かなかったが、橋の下を覗くと、かなりの高度。

高所なんたら症の私はそそくさと三脚をたたみ、震える足で橋を下った。



「古代出雲王陵の丘」

チューリップ帽に丸眼鏡の博士が出てきそうな名前だ。

「見たまえ、あれが、山陰本線だ。その向こうが中海。」

妄想で現れたこの博士はいったい何の研究をしているのだろうか。

この場所は、いにしえの古墳群。

古墳というのは教科書に出てくるように空中から見ると見事にその形が決まるが、

地上からは少し小高い丘にしか見えない。

その古墳の頂(いただき)を目指して長い階段を登る。

♪雲の階段を、長い階段を、オラは登っただ、フラフラと・・・

そんな歌が頭の中をよぎった。

登りきった先には、綺麗なねぇちゃんも、怖い神様も居なかったが、

田植えを終わったばかりの田んぼと、山陰本線の線路、その向こうに中海が広がる。

撮影するには天国のような風景が広がった。

かなり昔に建てられたであろう風景説明版の絵では現在住宅地になっているあたりも

説明版が作成された頃は、田んぼのままであったようだ。

この絵の中に国鉄特急色が走っていたのか。

来るのが10年程遅かったのかもしれない。

この絵の頃のやくもはもしかしたらディーゼル特急のキハ181系だったかもしれない。

そうすると40年程時をさかのばらなければならない。

それは、それで素晴らしい景色だなぁ。

その時代に思いを馳せながら時を過ごした。

そして、ここを国鉄特急色の381系が通ったこともあと数日で

キハ181系のように、夢の中の景色となってしまうことが決まっている。

キハ181には間に合わなかったが、381系には何とか間に何とか。



中国地方最高峰の大山。

ダイセンと読む。

ついオオヤマと読んでしまうが、そうすると神奈川県の丹沢山系の山となってしまう。

大山の名前はその間違いやすい漢字表記とともに記憶には残っていたが、

あまり縁がないだろうなぁと思っていた。

まさか、こんなことで身近に感じることとなるとは思わなかった。

もし天候が良ければ大山を絡めて国鉄特急色を撮影することができる。

そんなことを思いながら数々の候補地を検索した。

伯耆大山(ほうきだいせん)から先の、田園地帯。

ここが一番メジャーな場所だ。

安来のあたりの山間の風景から望む大山。

それぞれに趣がある。

しかし、結局は日野川にかかる鉄橋からの風景を選んだ。

万一大山がお隠れになったとしても日野川と絡めての撮影ができる。

思い通りにいかなかった場合のB案付。

貧乏人のリスクヘッジである。

やや、山頂部の雲が気になるところであるが許容範囲内。

正面に強い西日を受けて国鉄カラーが映える。

遠く中国山地の分水嶺から流れ落ちてくる日野川を

381系は高速で走り抜けていった、



「いったい何が・・・」

この日からこの地を訪れたという趣味人の方が悲鳴に近い声をあげた。

撮影最終日、この日の大山のご機嫌は悪く、

日野川鉄橋で別角度から国鉄特急色最後の撮影。

去り行く横顔のショットでお別れをしようと考えていた。

しかし、予定のやくも24号として現れたのは、赤が基調のゆったりやくも色。

一瞬頭が混乱した後で

「これじゃない。一体どうした?」

と私も叫ぶ。

どうやら、国鉄特急色は故障を起こしたらしく、やくも24号は代替車となったようだ。

道理で昨日より人出が少ない訳だ。

撮影した写真を見ると、シャッタースピードが高速走行に耐えられず

ぶれた写真になっている。

予定通り国鉄特急色が来ても撮影失敗の憂き目となったのだが、

最後に大きく手を振ってお別れしたかった。

しかし、傍らにいた本日からこの地を訪れたという趣味人の方は、

かける言葉が見つからない程落ち込んでいた。

「明日は大丈夫ですよ」と全く根拠の無い言葉をかけるしかない。

昨日「古代出雲王陵の丘」でご一緒した趣味人は

「いつも、撮影してばかりだったので、最後は乗車してお別れがしたい」

と言っており、

「その気持ちすごく良く分かります」

と大いに賛同したのを思い出す。

私も帰りのサンライズのチケットが取れなければ同じ気持ちでその予定だった。

あの人は、米子駅に進入してきたあの塗装の381系を見てどう思っのだろう。
(※結局国鉄特急色編成は翌日の一日を運休し、翌々日より復帰した。)

思ってもみなかった幕切れ。

空しい・・・が、やむなし。

最後にその姿を見れなかったからこそ

帰りの道すがら、これまでの国鉄特急色との幸せな日々を強く思うことができたからである。

この一週間後、2024年6月14日。

この日は皆の思いを天照の神がお聞き入れ頂いたかのような晴天だったという。

遠く東京の地で、私は381系ラストランの報を聞いた。

撮影地:山陰本線 東松江⇔松江  荒島⇔揖屋  東山公園⇔伯耆大山
撮影日:2024年6月5日~6月6日




 

さようなら 381系やくも


「来た!あそこあそこ・・・・。」

誰が最初に見つけたのかは分からないが、

その声と指さす方向に一斉に群衆は引き付けられる。

ほとんどあっち向いてホイ、の状態。

私の目も当然あっちに向かう。

その方向には、脚を下ろし着陸灯を輝かせた6機の航空機が

まっすぐこちらへと向かってきている。

パラリンピックの展示飛行以来のブルーインパルス。

あの時も今にも泣きそうな天候だったのを思い出す。

背景は残念だったが、この姿を目にするたびに何故か感動で

目が潤んでしまう。

何回も思う。

「すごい、本物だ」

と。

日が差していない曇天の空に着陸灯が映える。

「スモークオン」

こちらへ向かってきた6機が白い尾を引き始める。

カラースモークではないが曇天の空にも鮮やかにその軌跡を

見ることが出来る。

テレビや、youtubeなどでは味わえない爆音とともに

6機の編隊はあっという間に頭上を通り過ぎていく。



川崎市制100年のイベントにブルーインパルスが展示飛行をする。

お祝いの中心になるべき川崎市役所上空は羽田の航空管制区域なので

ブルーインパルスは飛べないらしい。

そこで、お祭りのメイン会場を等々力緑地の球場に持ってきた。

「等々力ってどこだ。どうやって行くのか。」

もろもろの情報を入手したのは、イベント前日。

天気予報は微妙だったが回復傾向。

うまくいけば、いい形の雲と青空の背景で・・・。

などと、都合のいいことを考えては自らで打ち消す。

今までの経験上、そんなにうまくいくはずがない。

航空写真は専門外で、しかも足場もおぼつかない状況。

大雑把な飛行ルートは発表されているが、鉄道と違い

空に線路があるわけでもなく、全くイメージが湧かない。

緑地の近くには多摩川が流れている。

多摩川の河川敷なんかが、空が広がっていていいかもしれない。

とも思う。

どちらも当日はすごい人手になるだろう。

考えた挙句、やっぱりメイン会場中心の飛行となるだろうと考えなおした。

現地に土地勘がない以上、メイン会場が一番安全なような気がする。



やっぱりの曇天。

それでも、昨日の大雨よりは良く回復したと言えるだろう。

一部広がった青空部分にいいタイミングで飛行してくれればと願うばかりである。

確率はかなり低いが・・・。

会場は、お祝いムード一色のフェスティバル。

気温もうなぎのぼりで、いろいろな要因で目が回りそうになる。

肝心のブルーインパルスの編隊は、どちらから来てどう行くのか

皆目見当もつかず、その手掛かりすら聞こえてこない。

そんな状態でしばらく会場を彷徨う。

いつもであればこの道を究めたであろう趣味人がそこらここらにいるのであるが、

この日は、少なくとも私の目には写らず、フードショップの屋台に群がる

多くの一般人ばかりに見えた。

やはり、メイン会場の球場のステージの後ろ当たりが望めるところがいいだろう。

何となく、時間待ちをしている人に話しかける。

「ブルーインパルスですか?」

「どちらから来るのでしょうねぇ。」

等と話し始めると、周囲にいた同じ思いを抱いていたであろう趣味人が集まり

しらずのうちに5~6人のグループになった。

皆、同じように足場に困っている風情に何となくおかしみを感じる。

しかし、こうなれば仲間である。

自衛隊から出ているルートマップを手に意見交換。

中には思い余って市役所に電話した方も。

もちろん、「さぁ、分かりかねます」という結論であったらしい。

しかし、この待ち時間が楽しかった。

「昨日の予行飛行が荒天中止になったのが痛かったねぇ。

必ず、予行を確認している人っているんだけど。」

喧々諤々(けんけんがくがく)、右往左往(うおうさおう)と

四文字熟語が飛び交うような状態でそれぞれに、あちこちを指さす。

結論の出ない作戦会議。結局は、出たとこ勝負。

いつもと違ってフェスティバルの一環なので、ピリピリした人がいないのが良いねぇ。

とはこのグループの共通意見。

「のんびりと待ちましょう。」

鉄道にしても、航空にしても皆様ご苦労は一緒のようだ。



始めに声をあげたのは、一般とみられる人だった。

「来た来た、あそこ、ほら、見えるでしょ。ああ、すごい・・・。」

まず、どこだと目を凝らす。

私は、多分見張りの当直業務は失格だろう。

やがて、目標物は、私にも分かる位大きくなり、あいさつ代わりなのだろうか

着陸灯の輝きにまず、感動する。

後で知ったが、これは、デルタ ダーティー ローパス という演目らしい。

つまりは、低高度でパス、目の前を通過するということ。

そして、6機分の爆音。

頭の上を低空で通過し、そのまま多摩川の方面まで直進した後に左に旋回を始める。

360度ターンをして、そのまま直進して去っていく4機と、さらにターンする2機とに分かれる。

去っていった4機は多分渋谷、新宿方面へ向かったのだろう。

残った2機が左右にに分かれて弧を描き始める。

東京オリンピックの五輪を描いた時の飛び方を思い出したが、

今日はスモークの航跡がおおきなハートを描き出す。

「これが、テレビで見たアレか。」

現物のハートに感動しきり。

下でクロスする場面は建物の影に隠れてしまったが、

大きなハートは、しっかりと形作られた。

今日は、それを射抜く矢は描かれなかったが、それは次の機会に

私のハートごと射抜いてほしいものだ。



やがて、渋谷、新宿方面へと去っていった4機が戻ってくる。

4機編隊でのダイヤモンド ローパス。

残っていた2機と合流し、再び6機編隊で旋回。

「これで終わりですねぇ。」

編隊が旋回していった方向は、入間基地を目指しているように見えた。

球場の中からも再びライブの音楽が聞こえて来る。

プログラムは先に進んだと言っていいだろう。

その音楽を聴きながら。

「天気は回復しませんでしたね。」

「じゃ、また基地でお会いしましょう」

と解散。

いつもの通り、喫煙所で、撮影後喫煙を行っていると・・・・。

まさかの爆音が。

空耳などではなく、いきなり6機で最後のローパスが空に展開される。

時すでに遅し。

喫煙所の上には樹木がおおいかぶさっており、

カメラを構える余地などなく呆然と見送る。

航空写真はこんなことが起こるのかと呆然とした。

行ってしまえば、帰ってこないのが鉄道写真。

航空写真はこんなことが起こりうるのかと、改めて勉強になった。

「結局、肉眼で見るのが一番心に残るよね。そ、肉眼レフ(笑)。」

等と待ち時間に戯言を言っていたことを思い出す。

今回の最後はまさに肉眼レフ。

煙草一本分くらい前まで一緒にいた趣味人の面々はどこで

このローパスを見ただろう。

きっと腰を抜かさんばかりに驚いたに違いない。

そんなことを思いながら面々の表情を想像して一人でクスクスと笑った。



先日の鳥取、島根の撮影遠征もなかなか天気に恵まれず。

青い空はいったいどこへ行ったのだろうか。

次回こそは、青く染まった空を背景に文字通りの

ブルーインパルスを味わってみたいものだ。

帰り道に覗いた売店で、ブルーインパルスの今年のカレンダーを

500円で入手しホクホクして帰宅の途についた。


撮影日:2024年6月29日
撮影地:等々力緑地 等々力球場付近



あるテレビ番組で1980年頃の新宿の風景を流していた。

いまの若者がその画像を見て 

何に対してギャップを感じ、どう驚くかと言う趣向である。

テレビの画面に映っていたのは、夜行列車を待つ人々であふれるアルプス広場。

通勤列車のドア押しの駅員たち。

そして、8時丁度のあずさ2号が当時の流行歌とともに入線する風景。

しかし、私にとって、そのどれもが当たり前すぎるくらいの風景。

「これって、普通じゃないか。」

しかし、ドア押しの駅員の多さや、夜行待ちの人の酒盛り風景に

若い人たちは違和感を感じ、驚きを示していた。

そう言われてみれば、いつの間にかそんな風景は見られなくなった。

多分、あずさの色も、通勤列車の色も 彼、彼女らは知らないだろう。

モノクロの遠い遠い昔の画像。

しかし、私の頭の中ではそれを、勝手にカラーに変換して見ていた。

これが、できるかできないかが、その時代を生きた者かどうかの

分水嶺なのだろう。

「キミたちは、どうせ国鉄なんて言葉も知らないのだろう」

どうでもいいことを一人語りで自慢してみたりする。

しかし、今の時代でもこの画像をカラーで見ることが出来る場所があった。

想像図でしか見ることが出来ない恐竜がこっそりと生きていたら

それは、大騒ぎになるだろう。

それと同じこととは、あえて言わないが、

この時の超越感は、ある意味奇跡的なことと言っていいと思う。

岡山から山深い中国山地を越え米子、出雲市に至る伯備線。

瀬戸内と日本海側を繋ぐ山陰、山陽連絡線と呼ばれている。

そこは旧国鉄の機関車や、普通列車、特急列車が

今でも現役で生き残りその筋の人々にとっては天国のような路線だった。

塗装見本版では、クリーム4号と赤2号で分類される

いわゆる国鉄特急色をまとった特急「やくも」。

いにしえの姿をのこす最後の一編成がそこに存在していた。



急行自由席であればフリーに乗車できる周遊券。

経済的に余裕の無い若者の味方であった。

いつも周遊券を握りしめて旅をしていた私にとって

この国鉄特急色は憧れの色だった。

通過待ちの駅、急行の固い座席で追い抜いてく特急列車を見送った。

「あれに乗りたいなぁ」とただ眺める対象。

なので、ほんのたまにその特急列車に乗車出来た時は

もう、夢見心地であった。

まれに、自由席が空いている時などは、前の座席を回転させて

ボックス状にして足を放り出す。

「特急列車でこんな贅沢な乗り方をしてバチが当たらないだろうか」

本気でそんなことを考えながら、はしゃいでいた。

到着駅と到着時刻案内のアナウンスの前に流れる

鉄道唱歌のオルゴール。

それが何とも高級感あふれるものとして私の感覚に刻まれた。

沿線の景色は急行列車で見るそれと変わらないはずなのに

特急列車の車窓から見る景色はいつも輝いていた。

どれも懐かしい思い出である。

この特急やくもにも、鉄道唱歌のオルゴールが搭載されている。

朗々とした車掌のアナウンスに添えてそっと流される。

列車に揺られながら鉄道唱歌を聞いたのは

今年の初めにこの地を訪れた帰り道が最後になった。



トンネルを抜けると、すぐにアウトカーブの橋がある。

振り子を聞かせて車体を傾けてそこを走る姿が人気の場所である。

御多分に漏れずその姿を撮影するために以前この地を訪れたが、

いざ、現着するとアウトカーブの前のトンネルの風景に心を奪われた。

ここに国鉄特急色を置く。

いわゆるトンネル抜きと言う構図になるが、

カメラを一台しか所有していない私は大いに迷った。

結果、「初志貫徹、ショシカンテツ・・・」とつぶやきながら

アウトカーブを行く国鉄特急色を撮影。

事前の迷いがそのまま出たような結果がずっと尾を引っ張っていた。

引退前最後の撮影は迷うことなく、この時の思いを払拭しようと思った。

撮影は平日だったが、やはり引退を控えたこの時期なのでそれなりに人が出ている。

皆、アウトカーブにカメラを向ける中、私はトンネルに正対する位置に

レンズを向けた。

いたぶるように雨が降ったりやんだり。

運転席のワイパーが動く。

そんな中での今回のファーストショット。

特急やくも惜別の旅が始まった。

(その2へ)

撮影地:伯備線 黒坂⇔根雨
撮影日:2024年6月2日



ちなみに、274系新型やくも。

国鉄色が来る前に通過したので同所で撮影した。

その昔宇宙戦艦ヤマトで沖田艦長の銅像の上を行く新造船アドロメダに向かって

ヤマト乗組員が威風堂々と飛翔するアンドロメダに

「バカヤロー」と叫んだ気持ちが少し分かったような気がした。

それでも少し乗ってみたいかなと思ったのは、この趣味の性なのだろうか。

新造車にしては格好いい方かなとは思った。