てっちゃんのまったり通信

てっちゃんのまったり通信

yahooブログから引っ越してきました。引き続きよろしくおねがいします。

 

 

 

私の世代はラジオ世代と言えると思う。

テレビは一家に一台。もちろんネット環境なんてものも無かった。

いつも身近にあったのはAMラジオから流れる音楽であり、

ディスクジョッキーの豊富な話題だった。

特に深夜放送は、親しい友人と真夜中のファミレストークを繰り広げているような

そんな親近感を感じ、思春期特有の寂しさを埋めてくれた。

良い時代に生まれたものだとこの奇跡に感謝している。

AMラジオへの思いは今も引きずっており、さらに今はradicoという便利なものがある。

お気に入りは、日曜の午前中の「安住紳一郎の日曜天国」。

この人の頭の中はどうなっているんだろうと脅かされるほど、話の広げ方が巧みで

天才と言うのはこういう人のことを言うのかと思う。

朝10時からの2時間番組なのだが、なかでも後半戦の11時からの

多彩なゲストが現れるコーナーを最も楽しみにしている。

有名人に偏らず、良く見つけてきたものだと思われるニッチな世界の達人が多い。

もはやこのコーナーの純レギュラー?と思うほどに複数回登場する人もまれではない。

その中に「シンガーソングライターの」と紹介される「朝倉さや」さんがいる。

一口でシンガーソングライターと言うが、ちょっと毛色が変わっている。

そこら辺がこの番組の良いところであるが、この人は

元民謡日本一、山形弁丸出しのシンガーソングライターなのである。

丸出しと言うよりも、それを誇っていると言っていい。

そして、日本一と言うくらいなのでその歌声は素晴らしい。

安住さんのリクエストに応えてすんなりとアカベラ歌唱も披露したりする。

きっと絶対音感もしっかりしているのだろう。

しかし、今までもこの人の存在は番組を通じて知ってはいた。

なので「シンガーソングライターの」と前振りがあっても

あの山形弁の女の子ね。と自然にわかる。

それ位に良く知っているはずなのに、

今回は何故かその歌声がいつも以上に心のフックに強く引っかかった。

山形弁の響きのやさしさが引っ掛かったと言っていいのかもしれない。

LaLaLa....とハミングしている間に平気で「ん、だべ・・・」と挟んできたりする。

それも、方言だぞ。と言う押し付け感が全く無く、自然に曲に溶け込んでいる感じ。

ネイティブな山形人に意味を問われるような純正の山形弁を歌いきる。

何かそれが心地よい。意味は不明でもより身近な洋楽を聴いているようだ。

悪い癖で一度気になり始めると「朝倉さや」について徹底的に調べ始める。

年末に有楽町でコンサートがある。これは色々試したがどこもSOLDOUT。

年始にも地元山形でもコンサートが開かれる。これはまだ発売中。

ウーンとうなりながらネットサーフィン(これは死語か?)を続けると

丁度一週間後にたまプラーザでミニライブがある。

これは私の為にセッティングされたものだ。と勝手に思い込んだ。



 

現場は、私と同年配の紳士たちで埋まっている。

それぞれ挨拶を交わしている姿を見ると、常連さんたちなのであろう。

そのなかにビキナーの私。

曲に合わせての反応にお約束があるようで、皆、腕を振り上げて呼応している。

「おお・・・」と驚きながら、まぁ、平和な光景だなと思いながら

私は、その乗りについていけずにただ歌声を楽しんでいた。

「わにぬでこっちゃこい」

ベタベタの山形弁で塗りこめた一曲。

このメインの歌詞を一緒に歌ってほしいとの彼女からのリクエストがあった。

「はい、まず、言ってみてください」

何度かのレッスン。

うん、何とか言えるかな?と思うと、

「それをですね。もっと早く歌う事になります。はい、歌ってみてください。」

うわ・・・。と思いながらカミカミで何とか乗り切った。

「私のライブは初めての人も置いていきません!」

有難いことです。

こういうイベントは、録音、撮影は厳禁なのだが

2回あったステージのそれぞれのラスト曲だけは撮影禁止解除。

どこかのCMではないが、

「早く言ってよ~」と思いながら携帯で撮影。

どんな時でもカメラを持ってきておくべきとよい勉強になりました。はい。




セットリスト

1回目 13:00
1:いざ!
2:花笠音頭
3 秋田大黒舞
4:日常
5:クラゲ

2回目 15:00
1:いざ!
2:花笠音頭
3:東京~山形弁だべ~
4:わにぬでこっちゃこい
5:ドーナツ

iTunesは曲ごとに1分間の試聴が出来る。

新しいアルバムを一通り聴いてみた。

通常初めてアルバムを聴くと、何曲かは、ちょっとな、と言う曲があるものだが、

ほぼ、もれなくストンと落とし込める曲だった。

この日のような簡易的なステージではなくキチンとしたステージで

彼女の歌と向かい合いたい。

そう思った。

と、いう事で、来年早々行われる山形のコンサートに参加することとした。

気に入ったアルバム直後のコンサートなので、アルバム曲中心となるだろう。

どこか遠くへ行きたいなぁ。と思っていたが、何の目的も無い旅は不安なので

これは良い口実になった。

当日は私の誕生日の翌々日なので、自らの誕生日プレゼントということで。

山形の旨いものって何だろう。

またしばらくネットサーフィン(これは死語か?)が続く。

何はともあれ彼女に巡り合わせてくれたAMラジオと安住氏に感謝。


撮影地:たまプラーザ フェスティバルコート
撮影日:2025年12月6日

※安住さんの番組の翌日にネットニュースで彼女の結婚が報じられた。
ライブ当日も
「本筋とはちがうんだけど、なんか言わなきゃ皆モヤモヤするべ・・・・」
と結婚報告。
会場はおめでとうの声が飛び交ったことは言うまでもない。

 

 



Merry  Christmas !!



「今度 ガメラの映画を撮ることになったよ」

金子修介(ガメラ平成三部作の監督さん)が奥さんに伝えたところ

「え?ゴジラじゃないんだ」

との返しだったという。

このエピソードは何となくガメラの立ち位置を物語っているようで

面白い。

全く知名度が無い訳ではないけど一番はゴジラ。

あ、ガメラなんだ。

何となく分かる気もする。

ゴジラの作り出した怪獣ブームに乗って

大映が後追いで制作したガメラ。

モチーフが恐竜に対向するのが何故にカメなのかは不明。

企画段階でも「カメ?なんで?」と話題になったらしい。

「これは当たらないね」と言う雰囲気の中なんとか製作費を勝ち取ったという。

この範囲内でね。ということで、当時で言うところの総天然色を諦め白黒作品。

しかし、ブームと言うのは怖いものでガメラのかかった映画館の前は長蛇の列。

ゴジラの時もそうだが、白黒というところが迫力を増したのかもしれない。

シリーズ化することとなり、当然のように2作目からは、総天然色。

そのシリーズ化の中でギャオスという人気敵役も生まれ

ゴジラに続く二番手としての地位が確立された。

これが昭和時代の話。



 

 

「ガメラは侍です!」

レンタルビデオ屋でうろうろしていると

主題歌を歌っている爆風スランプのサンプラザ中野が

その大きな声を張り上げていた。

「侍と言う言葉も食傷気味だなぁ。」

と思ったが、どんなものやらと平成ガメラ第一作を手に取った。

全く期待しないでそのビデオを手に取った。

また子供が並んで「ガァメラァァ~」なんて手を振るような

作品だったらいやだなぁと思いながら。

それが平成ガメラ三部作の一作目だった。

敵役はあのギャオス。

その昔、ガメラ対ギャオスというワードは教室の中で話題になっていたが、

当時は映画一本見るのも親の顔色を見なければならない年頃、

想像通り「ダメ」の一言で撃沈をした。

なのでギャオスと言う生き物は私の想像の中でたくましく成長を続けた。

ウルトラマンにバルタン星人がいるようにガメラにはギャオス。

敵役が主人公を育てると言っても過言ではない。

そうか、相手はギャオスか。

私は、そこをポイントとして平成ガメラの世界に入り込んでいった。

数時間後。

金子修介監督、樋口真司特技監督に謝罪することになる。

「見くびっていました。ごめんなさい。すごかったです」

災害時の考証がしっかりした骨太な作品。

現実と見まごうばかりの避難勧告を伝える現役のアナウンサー。

避難しなければまずい。と本気で思いそうになった。

「怪獣?来たら面白いんだけどなぁ」

と軽口をたたいた若者の最期を、主のいなくなった

ウォークマンで表現する巧みさ。

すっかり引き込まれてしまった。

夜中のテレビ画面の「ギャオス関連のニュースは4時からお伝えします」

が秀逸。

ガメラ、ギャオスの造形は言うまでもなく素晴らしい。

本物だコレ。本物の怪獣映画だ。

特に印象深かったのが、二つに折れてしまった東京タワーに営巣するギャオスの風景。

夕日を背景にシルエットとなったギャオスが一枚の絵のように美しい。

しかし、その美しさの影で恐ろしいことが進行していた。

もはや手に負えないギャオス。そんな人類の窮地に現れたガメラの攻撃。

その刹那、巣から落ちる卵。

「こいつ、卵産んでいやがった」

美しさとおぞましさと。

素晴らしい演出だ。



味をしめた私は続編が出来ると聞いて大いに興奮した。

パート2というものはえてして期待外れに終わることが多いが、

平成3部作で一番評価が高い作品になった。

一作目の世界観をそのまま踏襲し自衛隊を中心として物語は進む。

それは、巨大隕石の落下から始まる。

その隕石に乗って落下してきたのが、今回の敵役のレギオン。

ヒトより少し大きい位の甲殻類を思わせる姿。

暗闇からこちらを見つめる不気味なひとつ目。

それが無数に現れる。

いかにガメラでもこの無数のレギオンの群れに苦戦する。

名の無かった「レギオン」の名付け親は現場に臨場した聖書オタクを言っていい自衛官。

無数のレギオンの群れに呆然としながらその風景を聖書の一説を重ねる。

「主が『お前の名はなにか』とお尋ねになるとそれは答えた。

『我が名はレギオン。我々は大勢であるがゆえに』」

と言うつぶやきにもとづく。

怪獣の呼称の示し方もスマートだ。

そのレギオンはシリコンを求めて光ファイバーケーブルやガラス、土などを分解する。

夜に街灯に群れる虫のようなもの。

この頃は丁度携帯電話やウィンドウズ95などが出回り、誰もがシリコンを所持し始めた頃。

シリコンに群がる群体のレギオン達の姿は

ある意味電磁波に群がる我々そのもののメタファーにも思えた。

また、ガメラが戦いを続ける意義、その源がこの映画で明らかになる。

ガメラ自身が地球の意志そのものであり、

地球に対して害をなすものを排除するという設定だ。

ヒトで言えば抗体のようなものなのかもしれない。

害になるものを問答無用に排出する。

「私たちはガメラの敵にはなりたくないよね。」

もし、このままヒトが地球に害を与えるような行為を続けると・・・・。

主人公のラストの台詞がピリリと効いて物語は幕を下ろす。



昭和、平成ときたら令和にもシリーズが欲しいものだが、
 
2015年に一旦新作の話があって以来、その後は新作の話は聞こえない。

そんな中で迎えたガメラ生誕60周年。

ガメラも還暦。まさかガメラに赤いちゃんちゃんこを着せる訳にもいかず、

代わりに「ガメラEXPO」と銘打った展示会が開催された。

万博の年との重なりがあったのでEXPOとなったのかもしれない。

2015年に作られた予告編だけの新作動画。

4分だけだったが、その出来栄えは素晴らしく、全編見たら

きっと驚愕の物語になっていた違いないと思った。

近年はアニメバージョン(NHKとNetfrixで配信中)が制作され

その展示もされていたが、やっぱりガメラは実写がいい。

 

 

 

 

昭和のガメラの資料はほとんど残存していないという事なので

スーツ等の展示の中心は平成シリーズ。

メインは三部作のガメラの勢ぞろい。

同じガメラでも作品でこれだけ変化があるのがよく分かる。

これは進化?なのかな。

一番右のガメラが一番ごつい。

私的には2作目のガメラが一番格好いいなと思う。

ネットを見ると、詳しい方々が体の部分部分の違いに詳しい考察を入れているが、

私はそういう面倒なことは分からないが、その佇まいを感じるだけで十分満足した。



 

 

一番をめざすが、一番になり切れない二番目。

皆の注目を浴びる1番より

不思議に二番目の方に妙な魅力を感じてしまうのは何故だろう。

 

撮影日:2025年11月29日

撮影場所:有楽町丸井ガメラEXPO特設会場

 



「列車の中で寝ることになるからな」

父にそういわれた時、当時の私は意味がよく分からなかった。

初めての夜行列車の旅は、確か中学に入ってすぐの頃だったかと思う。

いつもと違い出発は一日も終わろうかと言う時刻。

こんな時刻にホームで待つ長距離列車。

鉄道唱歌とお休み放送、そして減光される車内。

「本当にここで寝るのか。」

小さな驚きと共に網棚の大きな荷物を眺めながらそんなこと考え

それでも、何とか眠りにつこうとした。

が、窓際に座っていたので暗闇の中から突然現れる駅の灯りに驚き

過ぎ去っていく踏切の警報音にまんじりとも出来ない。

夜はどんどん更けていく。

ところどころから聞こえる寝息がさらに焦りを生んだことを覚えている。

それでも、いつのまにか眠っていたようだ。

はっと、目を覚ました時、目にしたのは

夜明け前の白み始めた空、遠い山並みには朝霧がかかり、

まだ昨日のままで保存されている街はうっすらと新しい光をあびている。

列車はちょうど地方のターミナル駅へさしかかるところで

何本ものレールをまたいで揺れた。

「何て美しく不思議な光景なんだろう。」

この時に見た風景が私の夜行列車の原風景になった。

それ以来、目が覚めた時に確かめる車窓の景色にとてもワクワクした。

寝ている間にどこまで運ばれたのかという謎とともに。

やがて流れるおはよう放送。

「皆さまおはようございます。本日は〇月〇日〇曜日。

只今の時刻は△時△分です。列車は定刻通り・・・・」

昨日と今日が繋がっていることを感じるひとときだ。




これからの旅の予定を語り合う仲間、

グループで酒宴となり、少々迷惑感が漂う団体。

スーツ姿で会社の出張を思わせる人、

ただ黙って暗い車窓を眺めている人。

時が経つにつれ暗い車内の中で様々な個性が際立っていく。

しかし、時と共にそれらはひとつにまとまり、夜の眠りの中に溶け込んでいく。

そんな夜行列車の雰囲気が好きだった。

この頃の夜行旅は昼間に運行する優等列車とは違い少なからず苦行が伴う。

今のセレブ的な観光用の列車とは訳が違う。

その苦行を受け入れた人々の様々な背景を

うつらうつらと眺めながら幾度となく夜汽車に揺られた。

そう言えば、宮沢賢治の父を描いた「銀河鉄道の父」の冒頭も

賢治が生まれるという報を受けた主人公(宮沢賢治の父)が

慌てて夜行列車に乗り込むところから始まっている。

様々な人生の転機を運び夜を駆ける。

夜行列車は浪漫の塊であると言われる所以かもしれない。



昭和レトロと人は言う。

その言葉のキーである昭和の当時は、大正浪漫と言う言葉がもてはやされていた。

過ぎた昔を恋ゆる思いで振り返る気持ちは時代に関わらず万人が抱き続けるものだ。

さまざまな人生を乗せて時は移ろっていく。

昨日までの現実が今日は手の届かない夢となってしまうこともある。

そんな思いをノスタルジーと呼ぶのかもしれない。

その思いを具現化させるという趣旨か

令和の今、「昭和レトロ」の夜行列車を体験する」というツアーが

そこらここらで企画される時代になった。

しかも、そのどれもが大盛況である。

列車も牽引する機関車も昭和当時のモノ、もしくは当時を模したものが喜ばれる。

あの頃の感覚を味わいに人は集まる。

しかし、皆、あの頃のように何かに追われている訳ではなく

何かに追われていた時代をただ思い出す為に、わざわざ固いシートで一夜を過ごす。

剛かな食事が用意されている訳でもなく、ただ、窮屈に耐える旅。

しかし、そこには若い頃に大きな荷物とともに旅をした良き思い出が詰まっている。

「もう、あんな旅できないよ」

と言いながらそそくさと眠れない列車に乗り込む人。

かと思えば、「うわ、こんなだったんだ。」とつぶやきながら

父や母に聞いた旅の思い出を追体験する人。

車内は、様々な楽しみにあふれている。

現在の夜行列車と言えば個室が当たり前の高級志向。

時代と言えば時代だが、夜行列車の旅に快適を求めてはいけない。

そんな頑固な思いがこの列車を走らせる。

窮屈、退屈、眠れない。

しかし、必ず朝はやってくる。

それが、昭和レトロの夜行列車の汽車旅の原点かもしれない。



「会津高原尾瀬口を過ぎましたあたりまで緊急の場合を除いて

車内放送を控えさせていただきます。

まもなく車内の灯りを暗く致します。おやすみなさい・・・。」

今回の編成はDE-10が14系客車3両を引っ張るもの。

この編成では浅草まで乗り入れることは出来ないらしく、

新栃木迄は通常の特急列車で移動となった。

新栃木を出発した時点ですでに終電の時刻も過ぎていたので、

お目当ての列車に乗り込んだという感慨を味わう暇もなく

出発するやいなやすぐにお休み放送が流れる。

なるべく深く、少しでも楽な体制をと模索しながらお休み放送を聞いた。

この車両はその昔北海道で夜行列車で使用されていたもの。

今も昔も多くの人の夢を乗せて夜を行く。

この日は北海道の大地ではなく、一路会津方面へと進んでいく。

途中、既に営業を終えた下今市の駅では

明日に備えてホームで灯りを落とし停泊している列車を見ることが出来た。

通常であればこのまま安らかに明日を迎えるところに

我々の列車が突然進入してきたようなものだ。

そして、鬼怒川温泉。

夜中にみる廃屋となった巨大ホテルの影はなかなかホラーな景色だった。

それもこれも夜行列車でなければ味わえない風景。

やがて列車は野岩鉄道、会津鉄道線へ鉄道会社をまたぎながら夜を走る。

車内の灯りは夜間モードで減光しているが、思ったより明るい。

その車内の灯りの反射であまり車外の風景は望めないのが残念。

寝静まった北関東の山間。

外は闇の中。

窓に額を押し付けると反射が抑えられ少し山の風景が分かる。

もし、チケットが取れず乗車出来なかったらここで撮ろう

と考えていた場所が近づいてくる。

振り出した雨の中、三脚と数人の趣味人たちの姿を認めることが出来た。

ご苦労様の極みである。

良い写真が撮れていれば良いが。

「がんばれよぉ。気を付けて。」

見えるはずの無い車内から軽く手を振ってみた。

その頃になると車内もだんだんと落ち着いてきた。

眠りに誘われながらももったいないと眠気と戦っている人。

がっつりと夢の世界にいる人。

それぞれだ。

隣の座席に人がいないことを良いことに

つい鼻歌が出てくた。

♪花嫁は夜汽車に乗って・・・・

旧い歌だ。歳が分かる。

苦笑いの顔を車窓に映しながら、夜はますます更けていく。



途中駅で何度か時間調整の長時間停車することとなる。

時間単位で停車するのだが、乗客がホームに降りることを許されるのは

わずかに10数分だけ。

「野生動物の危険性を考慮して」とのアナウンスだったが、

確かにそれだけの山の中なのだが、どうにも額面通りには受け取れない理由だ。

あらかじめ知らされていた停車駅に近づくと眠っている人をかき分けて

眠らない軍団がホームに降りる準備が始まる。

到着した駅には、真夜中のホームの灯りに浮かぶ北斗星色のDE-10。

この日の為にあつらえたかのような青い車体に金の筋が美しい。

夜行列車の気分が一層盛り上がる。

時間を忘れて眺めていたいところであるが、持ち時間は限られている。

こんなところで締めだされたら、それこそ命にかかわる。

思い思いにその姿をカメラに収めたら皆客車へと急ぐ。

やれやれ。

撮れたての写真を確認しているとホームの灯りも落とされた。

列車も止まっていることだし少しばかり眠ってみるか。

なんてことを考えるとのちのち激しく後悔することとなるので

何とか眠気を紛らわせる。

厳しい戦いだったが何とか貫徹の朝を迎えた。

あまりほめられたことではないのは分かっているが、

分かっちゃいるけどやめられない。と言うものである。



皆様おはようございます・・・・本日は8月10日日曜日。時刻は・・・。

定番のおはよう放送。

車窓には朝霧に包まれた美しい南会津の山々が続く。

夜行列車は夜だけのものではない。朝まで走り通すからこその夜行列車。

明るくなった車窓を眺めながら眠らずに乗り通したという

妙な達成感で気分が上がる。

終着の会津田島の朝は早い。

到着5時・・・・何分だったかの到着。

休日の朝5時台。

普段であれば惰眠をむさぼっている時間帯。

叩き起こされた乗客は客車から追い出され、

夜行列車特有のけだるさを共用しながらも、乗ってきた列車の撮影に余念がない。

先頭の北斗星色のDE-10は今度はその頭を浅草方面に変える為に方向を変える。

これを機回しというが、車内に押し込められていた人々にとって

これは絶好のシャッターチャンスに他ならない。

予定では、DL南会津のヘッドマークが朝日に輝く・・・・・はずだったが、

当日は、残念ながら雨の朝。

しかし、それはそれで、もやっとした、いや、しっとりとした感じが良い。

雨なのにとても気持ちが良く、

どこからかラジオ体操のテーマ曲が聞こえてきそうな気がする。

♪さわやかな朝が来た・・・・



復路の発車まで自由時間が約5時間。

もちろんこのツアーは復路の下今市までの料金も含まれるが、私はそれを放棄。

ラジオ体操のテーマを頭の中でリフレインさせながら

夜を通して走った道を今度は鈍行列車で戻ることした。

目的地は倉ケ崎の向日葵畑。

夜を行く旅から解放された後はお日様色があふれる花畑に向かう。

闇から光へ

ずっと暗闇を見つめてきた目にしみる黄色い花の群れ。

残念ながら夜半からの雨は降り続いているが

それを補うように地上に咲き誇る向日葵たち。

結構しっかりした雨であったので、もしかしたらこの撮影地も

独り占めできるかもしれないなどと甘いことを考えていたが、

こんな天候でも三脚の列は容赦なかった。

三脚の脚がズブズブと埋まってしまうような湿地と化した中、

木の切り株で三脚を何とか固定する。

こんな条件でもこれだけの人数が集まるのだから、コンディションが良かったら

いったいどれだけの騒ぎになっていただろう。

けっこう過酷な待ち時間だったが、ある意味ラッキーだったのかもしれない。

そんな中待つこと3時間余り、

会津田島に置き去りにした北斗星色DE-10のヘッドライトが見えてくる。

さすがに指が震えた。



その後は何をどうして帰途についたか記憶が定かでない。

近くで水道を借りて、泥を落とし、丁寧にふき取って

多分下今市で特急列車のチケットを購入したのだと思う。

徹夜の疲れと雨の中での待機でへとへとになり

気が付いたら自宅にいた。

夢遊病者のように何とかたどり着いたのだろう。

ぼんやりとしていると、すべてが夢の中の出来事だったように思う。

日本国内に居ながらにしての時差ぼけ。

しかし、カメラの中にはそれが現実だったことの証がしっかり残されていた。

この現実と夢との境のナチュラルハイ的な時差ぼけ、

 

これこそが夜行列車のだいご味なのかもしれない。


撮影地:東武鉄道(栃木県) 新栃木駅、大谷向⇔大桑
      野岩鉄道(栃木県)男鹿高原駅
     会津鉄道(栃木県)会津高原尾瀬口駅 会津田島駅

撮影日 2025年8月9日~10日