
1972年。
鉄道100年を記念する雑誌にその駅舎の写真が掲載されていた。
それは、私が小学生の頃。
港町を背に、線路の最終到達点に佇む駅舎の姿。
線路がたどり着く行き止まりの終着駅、そして始発駅は
ある種貫禄に満ちていた。
「こんな駅があるんだ」
強い印象と共に、いつかはこの駅に降り立ってみたい。
そんなことを思っていた。
それから半世紀。
この駅は重要文化財となっていた。
幸いにも戦禍を逃れ大正時代のままの姿の駅舎は
「大正レトロ」と銘打ちこの街をあげた観光事業の
文字通り玄関口となっている。
半世紀をかけてこの地を訪れる私の前のその駅舎、ホームの佇まいは
想像以上に美しく「レトロ」という言葉が軽く感じてしまうほどだ。
実はこの「レトロ」と言う言葉はあまり好きではないせいでもあるかもしれない。
この言葉は、なにか一過性の流行りのような語感に感じてならない。
「大正レトロ」を旗印に懸命に街を作り上げた門司の方々には申し訳ないが、
大正時代からの歴史を感じさせるのであれば、「大正浪漫」という語感の方が
古びることの無い歴史の重みを感じるような気がする。
それは、あくまでも、個人的な感覚でしかないが。
とにも、かくにも私は小学生時代に見たあの地にたどり着いた。


大正時代からの駅舎というのは、意外に少なくはない。
地方の私鉄等の木造駅舎などに多く見られる。
しかし、重要文化財として認定されているのは現役では
この門司港駅と、先般改修された東京駅だけである。
かつて、門司港は朝鮮半島、大陸を結ぶ重要な場所であった。
箱根までにとどまってしまったが、小田急電鉄が
大陸までの鉄道を夢見た際に日本から大陸へ渡る拠点が
ここ下関、門司であったことは知る人ぞ知るところだ。
港周りには、かつての税関、そして古くからの銀行、
商社の代表格として三井倶楽部などの洋館が並ぶ。
そんな時代の背景の厚さもこの駅が重要文化財として指定された
理由なのだろう。
夜の闇に浮かんだ駅の姿は、令和の建造物をそぎ落として、
大正時代の姿を浮かびあがらせているように見える。
その人気(ひとけ)の無いホームに勝手に時代ごとの装束の
人々の姿を投影してしまうのは、いささか妄想がすぎるのだろうか。

長いホームをひたすら歩く。
そこには、令和を感じさせるベンチも、もちろん自販機なども無い。
ただひたすらに続く長い長いホーム。
照明はポツリポツリと吊り下げられた傘付きの電球。
その電球の灯りに照らされる木造の屋根。
この駅にたどり着き一歩ホームに足を下ろした瞬間に感じる
時代を越えた異文化の香り。
俗っぽい言い方になってしまうが、旧い映画の一コマに
入り込んだような感覚に・・・・いや、やはり言葉を知らない私には
表現できないような圧倒的な空気感に、ただ「これはすごい」と
つぶやくしかなかった。
しかもこれはセットや博物館などではなく今も現役で
列車を迎え入れ続けている駅なのである。
そのホームには袴姿の若い女性、ハイカラな舶来の服に身を包んだ紳士、
時を進めて、軍服姿の若者や、モンペをはいた女性の姿が
浮かんでは消える。
このホームを行きかった人々の物語が、そこには今なお住み着いている。。
そんな妄想の数々も終着の駅、
そして、再度旅立つ始発の駅であることが
さらに趣深く感じる。

長いホームを歩き終えると、並んだ改札。
かつてのように駅員が入札の為に待ち構えていることは無く
一番端の木造の窓口から旧式の鉄道員の制服を着た駅員が
ひょっこりと顔を出している。
その向こうには、長い旅を終えた人々を迎え続けているコンコース。
左右の旧待合室は、今は緑の窓口とスターバックスになっているが
駅の景観を損なわないよう注意深い設計がなされている。
駅の調度品のひとつひとつも古くからのままであり、
それもまた現役で働いていることが素晴らしい。
手洗い前の旧い手水(ちょうず)の中には
ローマのなんとか広場の噴水のように多くのコインが沈んでいる。
皆、再びこの駅を訪れることを願って投げ入れたものなのだろう。
そして、駅前の広場を抜けて振り返ると
そこには、左右対称のルネスサンス建築の駅舎の姿が見ることが出来る。

自身の語彙力の無さを嘆くような、言葉の表現を越えた風情。
鉄道ライターの故横見氏の口癖のように唱えていた言葉が
再び蘇る。
「来れば分かる」
このブログ内でも私の訪れた多くの場所で彼の言葉が当てはまったが、
現場の空気に浸ってみなければ分からないこともある。
この駅の写真を初めて見た小学生の私に
「考えるな、感じろ」
と、改めて伝えたい。

撮影場所 JR九州 門司港駅(大分県)
撮影日 2026年6月6日~7日


















