今回は世話人蓮沼の実体験です。   

先日の「フォーカシングを楽しむ会」で、今までフォーカシングをやってみて

良かったと感じたことなどをみんなで話し合う機会がありました。

その時にお話した忘れられないフォーカシング体験を書いてみます。                                

 

私がフォーカシングを学び始めた頃のこと、今から10年以上前のお話です。

当時の職場に、どうしても分かり合えない、とても苦手な人がいました。

そこまで苦手になる前には、自分なりにどうにかしようと、あの手この手を考えたこともあったのですが、すべてうまくいきませんでした。

それでも何とかしたくて、その人のことをフォーカシングで感じてみることにしました。

 

目を閉じて、リスナーから頭から足までからだの力を抜くように声をかけてもらい、

静かに落ち着いて自分のからだの内側にしばらくじっと注意をむけてその苦手な人を感じます。

 

胸のあたりがぞわぞわして、黒いスライムのようなものがだんだん大きくなって広がっていきました。それをじっくり感じると、とても息苦しくてうまく息ができない感じ。苦しい。

 

からだで感じたことをひとつ、ひとつ、言葉にしていくと、リスナーがそれを伝え返してくれました。リスナーの伝え返しを聞いて、もう一度、それが今のからだの感じとぴったりかどうかを確認します。

 

リスナーに、その人に何か言いたいことがありますか?と聞かれ、

からだで感じたことを、ひとつ、ひとつまた言葉にしてみました。

でも、何を言っても、その人に全く何も受け止めてもらえない。

虚しい。ただただ、虚しい。

 

すると、心の底から「どう、しようもない。」という言葉が湧いてきました。

それは諦めの「どうしようもない」ではなく、「どう、しようもない」でした。

その瞬間です‥「あっ、そうか!」と。

「どう、しようもないんだ!私があの手この手でなんとかしようなんて思い上がりだ。人を変えることなんて出来ないんだ。」そう気づいた時、からだの底から納得して解放され、とても静かな気持ちになりました。

それからしばらく経って、あれ?そういえば‥苦手な人じゃなくなっている、ということに気がつきました。そして、その人との関係性も変わっていきました。

 

不思議ですよね?ずっと悩んでいたことなのに、1回のフォーカシングでここまで変われるものかな~と。でも、自分自身の状況に対する捉え方が変わると、現実は何も変わらなくても自ずと言動は変わっていくのです。

そしてこのプロセスの積み重ねによって人は変化し、より自分自身として生きていけるようになります。

 

からだは、頭で考えるよりもずっと確かな答えを教えてくれるのです。

 

第7回フォーカシングを楽しむ会を開催しました。
初めて参加される方(しかも、はるばる名古屋から!)を含む、5名の会でした。

 

初めての方が来てくださったので、まずは参加者みんなで自己紹介。以前から参加しているメンバーには、フォーカシングのどんなところに魅力を感じているか、フォーカシングをやってよかったと思っていることなども話していただきました。フォーカシングを始めてからだんだん楽になってきたり、こだわりから解放されたこと、自分自身の嫌だと思っていたところも受け入れられるようになったこと、嫌いだったはずの相手ともうまくやれるようになったことなど、それぞれの過去のフォーカシング体験を振り返りながら語り合いました。フォーカシングで大切な体験をしたときのことは、何年たっても忘れずに覚えているから不思議です。また世話人から、フォーカシングの解説もさせていただきました。

その後は、いつものように足ほぐしです。寒い季節なので、足の指や足裏を刺激すると痛いところもたくさんあって、でもそれを丁寧にほぐしていくと、足だけでなく体全体が柔らかくなるのが感じられました。

続く、ペアになってのフォーカシング体験では、皆さん時間をかけてたっぷりと自分の内側を感じておられました。後のシェアリングでは、からだの感じには、頭で考えていても思いつかないようなことが豊かに含まれていることの不思議さなどを分かち合いました。

 

次回は3月4日(土)です。フォーカシングを楽しむ会は、初めての方も大歓迎です。まったくの未経験の方にも対応させていただきますので、安心してご参加ください。
お申込み・お問い合わせは focusingfocusing@gmail.com まで!

暦の上ではまだ小寒ですが、ここ数日は大変な寒さですね。戸外に出ると、ピリリと冷えた空気が突き刺さるようで、思わず身体に力が入ってしまいます。

 

さて、これまでフォーカシングの解説記事をいくつか書いてきましたが、まだフォーカシングを体験したことのない方には、なかなか理解しづらいこともあると思います。そこで今日は、私(世話人・鈴木)自身が過去に体験したフォーカシングの実例をご紹介しようと思います。

 

それは私がまだほんの駆け出しのカウンセラーだった頃、相談に来られたあるクライエントとトラブルになり、「責任者を呼べ!」という騒ぎになったことがありました。聞くところによると、その方は他でも何度もトラブルを起こしてきた方だそうで、そのときの私の対応について上長や同僚のカウンセラーにも報告しましたが、特に問題はなかったということでその件は終わりました。たしかに、何か具体的なミスがあったわけではありません。でも、私の中には「本当にそれでよかったのだろうか?」というモヤモヤした思いがどうしても消えませんでした。

そこで、そのことについてフォーカシングしてみました。問題になったクライエントと相談室で向かい合っている場面を思い浮かべてみると、自分のからだがひゅーっと後ろに下がっていくのを感じます。座っているソファーの背もたれも通り抜けて、すごい勢いで下がっていくのです。「あぁ、こんなに引いてしまっていては、ちゃんと対応できるはずがない!私はクライエントに本当に向かい合ってはいなかったんだ!」心からそう実感したとき、ふと背中が壁にあたるのを感じました。そして、「もうこれ以上、絶対後ろに引かないぞ」という思いが湧き上がってきて、なおも感じていると、何か自分の中心が定まったような感じがしました。

今でも忘れられない、私のカウンセラーとしての基盤を固めてくれた大切な体験です。

 

もうひとつ、別の例をご紹介しましょう。これは、上の例よりもずっと後の体験です。

私は新しい仕事のお話をいただいていました。すでにお受けするとのお返事もしていましたが、だんだん日が近づくにつれ、なんだか不安で落ち着かなくなってきました。

そんなときは、やっぱりフォーカシングです。新しく始まる仕事のことを思い浮かべてからだを感じてみると、からだの真ん中に何か丸いものがあるのを感じました。丸いものは、繭のような感じがします。それをさらに感じ続けていると、繭の中に幼虫のようなものがいるのを感じました。なんだか茶色っぽい色で、でっぷりしていて、幼虫のくせに妙に貫禄があります。その幼虫に注意を向け続けていると、幼虫が「ん?」というように振り返って私と目が合った気がしました。「わぁ、ふてぶてしい幼虫!」と同時に、「あ、これ、私だ!」と思ったのです。そして、そう思ったら、「あぁ、私、大丈夫だ」という安心感がじわじわとからだいっぱいにひろがっていきました。

紛れもなく幼虫だけれど、妙に貫禄があって、ふてぶてしい。普通に考えると変ですが、そのときの私にはとても頼もしく感じられて、それが自分自身の姿だと感じたことでとても安心できたのでした。

 

ここに挙げた例はあくまでも私個人の体験ですから、一般化することはできません。フォーカシングで感じることは人によって千差万別で、何を感じたからよいとか悪いとかいうことはありません。大切なのは、感じられたものを素直にそのまま受け取るということです。そうすれば、必ず何か大切なことを自分自身のからだが教えてくれますよ。

昨年の春に発足したこの会も、細々とではありますが、途切れることなくここまで続けてくることができました。
今年も皆様とゆったりフォーカシングを楽しみながら、フォーカシングの素晴らしさを一人でも多くの人に伝えていきたいと思っています。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
 
フォーカシングを楽しむ会
世話人 鈴木主真・蓮沼友子

日ごろ世間の流行には疎い世話人ですが、うっかり流行にのって風邪をひいてしまいました。

師走の忙しいさなか、皆さんも体調くずされたりしていませんでしょうか。

 

今日は自分の中にある、自分自身を攻撃する声についてお話します。

皆さんは、仕事や人間関係でつらい思いをしたときに、一方で「そんなの怠けているだけだ」とか「お前の我慢が足りないんだ」と自分を責める、内なる声が聞こえてくることはありませんか?

その「声」は、何かにチャレンジしようとすると「そんなの無理だ、どうせ失敗するに決まっている」「お前にはそんな能力なんかない」と言ってみたり、失敗すると「ほらみろ、やっぱりお前は何をやってもだめな、無価値な人間だ」と言ったり、うまくいったときでさえ「その程度じゃ全然だめだ」と言ったりします。

 

フォーカシングの創始者であるジェンドリンは、この声のことを「超自我」と呼んでいます。超自我とは、元々は精神分析の祖であるフロイトが用いた用語です。フロイトは、人間の精神は「イド」「自我」「超自我」の3つで構成されており、快楽原則に基づいて本能の欲求のままに動く部分がイド、現実原則に基づいて理性的にイドをコントロールするのが自我、そして親の教えや世間の道徳、規範意識で強く律しようとするのが超自我だとしています。

ジェンドリンの言う超自我は、フロイトのそれよりも、自己否定的で自己攻撃的な面が強調されています。ここでは、ジェンドリンの使い方と同じ意味合いで、超自我という言葉を使います。

 

さて、超自我の攻撃を受けたことがない人はきっといないと思いますが、その攻撃はその人の本来の生きるエネルギーを奪い、生の方向に向かって動こうとするのを邪魔します。超自我の声に耳を傾けてしまうと、恐れや諦めに支配され、自分を信じられなくなり、自由にふるまうことができくなってしまうのです。

でも、実は超自我の声こそ、非合理的で、愚かな思い込みでしかないことに気づきましょう。

いかにも絶対正しいことのように自信満々で語りかけてきても、超自我の声に耳を傾けてはいけません。

「わかっているけど、それが出てくると負けちゃうんです」‥そうですね、超自我はなかなか強敵でしぶといです。簡単には撃退できないかもしれません。

でも、まずは自分を攻撃しているのは超自我だということに気づきましょう。「お前なんかだめだ」そんな声が聞こえても、「また超自我がなんか変なこと言ってる」と思えるようになったら、しめたものです。次は、「はいはい、わかったから、ちょっと黙ってて」と言ってみましょう。

繰り返し、そうやって練習していくと、少しずつ自由になっていく自分をきっと感じられますよ。