「こんな自分じゃダメなんじゃないか」 という疑念 | 小原あやこ Official Blog「ご自愛ライフスタイル研究室♡最愛の自分に、最高の運命を♡」Powered by Ameba

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「ご自愛の法則」と「引き寄せの法則」は知れば知るほど瓜二つなシステムじゃーん、と最近知ってしまいました。笑 そんなわけで最近は、エイブラハムとザ・シークレットも実践中です♡

わたしって、よくサバサバしてるとか言われるのですが、
やっぱり中身はフワッとジメジメしています。笑



「これをああやって、こうなるの!こうするの!」
みたいな、「わたし、を主張しながら突き通す意志の強さ」みたいなやつがすんごく弱いんです。



例えばですが、
配慮がなさすぎる!!無神経すぎる!!
って旦那さんによく叱られるのですが、
そういう時でさえ、
わたしの中ではそれまで自分なりの感覚では完璧に配慮していた事実があったとしても、
そのことを強く主張するまえに、
そう自覚する前に、
相手の言い分のほうが正しいのかも。。
と受け容れてしまうことがあります。

尊敬していたり、好きな相手であったりすると、なおさらです。


液体でいうなら、
水の中に濃厚な色水を一滴垂らした時にひと通り、
その「色」のすべてを受け容れようとして(受け容れたくなって)しまうんです。


それは、好きな人とは一体感を感じていたい、
というエゴみたいなものかと思います。
(意図してやってるわけじゃないんですけどね)



だからこそ、いわゆる「他人軸マインドの苦しみ」から抜け出すための「ご自愛」に行きつきました。


激しく熱い気持ちで人と接する傾向にある人のことは特によくわからないことが多くて、
だから「無神経」と言われるのかなって思います。
(うちの旦那さんも生真面目で細やかな配慮をするタイプの熱い男です・笑)


そうするとね、
ああ、わたしの何かがそうさせてる(思わせてる)んだろうな
と思っちゃうんです。


本当は、相手が勝手に決めつけているだけだとしても、勘違いがあったとしても、

何かをした自覚もないまま、
「こんなに言われるんだから、わたしのせいで何かが起きてしまった」
と思っちゃうんです。

実際、そう言われることが多いのですが、
ご自愛法則的には、
それはわたしが「わたしのせい」と思いやすい傾向にあるからです。




誰かの思考や感じ方をまるっと理解しようと試みたとき、
わたしはいっとき、
「わたし」を失くしてしまいます。

勝手に、わたしの中の「わたし」が影を潜めます。

目を開けながら、喋りながらも、
気を失った人のようになります。


「わたし」が影を潜めている間というのは、
もう完全に思考的です。
※その「思考」ももちろん「わたし」ですが。


だからこそ、その期間が長ければ長いほど、
本当は何が好きだったのか」とか
本当は何がしたいのか」とか
そういうことに鈍感になってしまいます。


で、そんな時はどうしたらいいかと言うと、
わたしが「わたし」を取り戻すための時間や環境を作る必要があります。
(だから一人で過ごすのが好きなのかも。。笑)


荒れた海が落ち着くまで待つ、
みたいな時間が必要なんです。






わたしは自分にはそういう傾向があるのだと気付くのに約40年弱かかり、
「ご自愛」を自ら実践しながら広めさせていただく立場にある今でも、
以前と同じような混乱をきたすことが頻繁にあります。



でね、わたしは、
そんな自分が本当に嫌だったんです。

完璧に上手に周りとうまくやれない自分が、
とっても情けなくて悲しくて、
だからそこで力んでしまって、
空回りして迷走する自分のことが、です。


それは自分の中に、
自分でコントロールできない場所があるのが不安で仕方ないからです。

だけどそうやって、
コントロールしようとすればするほどに、
絶対に物事はうまく進まなくなる。






長く書きましたが、
何が言いたかったのかというと、
わたしはすぐに、
「こんな自分じゃダメなんじゃないか」
と自分にも人にも疑念を抱きやすいということです。


で、知識もあるから「そんなんじゃご自愛のプロって言えないっしょ」って自分を責めるんです。


で、それがまたとても苦しかったんですが、
今のところはとりあえず、
どうしても「そう」思ってしまう(感じたくなってしまう)自分をオーケーしてみることにしました。


そんなわたしを嫌いだと思われても、
扱いづらいと思われても、
あいつマジで痛いやつだと思われても、

それはわたしが一番わかっていることであり、
だけど本当に為すすべがないことだからです。



自分をオーケーする、
というのは「そんなわたしも可愛いよ」と思うことではなく、
「お前、まじでどーしようもねーな!学習しろ!」
と自分を責めることをやめない自分のことを、
放っておくことです。笑


それはある意味で、
ダメなままでもいいよ
って受け容れてしまうのと同じです。


意固地で卑屈で根暗なのは、
どうせ昔からでしたし。。笑

かといってこの「自覚」は、
「昔のわたし」とはまた違うと思っています。



ここまで、拙著「ズルいくらいに愛されるたった1つの方法」に散々書いていることでありまして、
だからこそあの本は、わたしのための本でもあります。(改めて、良い本だなって思います)


たまに読み返すとハッとしますし、
あんな本まで出させて頂いたのに完璧にその通りではない自分をまた責めるのですが、
なんかもうそれでいいって思っています。笑



きっと、本当の「強さ」っていうのは、
自分の中の不便な「弱さ」すら、
自分の一部であるということを受け容れてしまうことかもしれないな、と


そんなことを思う、日曜日の朝でした!
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