私を知る旅#15【お金②】お手伝いさんが3人いる家 | 奇跡の周波数447Hz&魂を解放するファジョン合唱

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魂が解放され、真実の自分へと導くファジョン合唱を主宰。一人ひとりが平和を取り戻すことで、世界を平和にするのがミッション。母の日に1stアルバム『子守歌』発売。「胎内記憶」池川明先生監修のインストゥルメンタルCD『INITIUM』が口コミで好評です。

魂のミュージックセラピスト

飯田 夏代です。

 

"聴くだけ" ”見るだけ”で

あなたの脳を守る音楽と絵画で

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シリーズ「私を知る旅」

の詳細、過去記事のリストは▶こちら

 

前回はこちら。

私を知る旅#14
【お金①】お金のある家に生まれる

 

 

今日は、、、

私を知る旅#15
【お金②】お手伝いさんが3人いる家

 

 

前回は、

生まれた時や

幼稚園での生活を

書いてみました。

 

 

そして、

今日のテーマは、

「お手伝いさん」です。

 

 

生まれたのは

東京の広尾というところ。

 

そして

1歳の時には、

自宅は世田谷区に

引っ越していました。

 

 

前にも書きましたが、

わたしの喘息が酷かったことも

原因の1つだったようです。

喘息の記事はこちら

 

 

最初の世田谷区の家は、

母が設計して建てたそうです。

 

母は、

設計の全くの素人ですが、

設計図を引くのが好きでした。

 

 

昔の設計図を

見たことのある方は

ご存知だと思いますが、

 

青い線で印刷されていて、

そこに三角スケールで

線を引いていくんです。

 

 

こういうのです。

 

これ、

母が実際に使ってきた

数十年もののスケールです。

 

 

図面それぞれの縮尺に合わせて、

6種類の長さの単位が

一瞬で測れてしまうんです。

 

 

そして、この家も

手狭になったとかで、

数年で区内の

新しい家に引っ越しました。

 

 

広さは、前の家の

2倍くらいありました。

 

 

バブルの時は、

推定、10億円だった

と聞いています。

 

 

この家には

18年くらい住みましたが、

 

実は、、、

 

 

お手伝いさんが、3人いました。

 

 

 

まず、

お手伝いさんて?

 

と思うので、書いてみますね。

 

お手伝いさんは、

家政婦さんとは違います。

 

 

家政婦さんは、

家政婦協会に依頼して、

選ばれた方が派遣されて来ます。

 

一方、

 

我が家では

なぜかそれをせず、

 

自分で人を探し、

直接雇用していました。

 

 

 

見つけ方は、、、

 

 

なんと、新聞広告です!!

 

 

 

まず、新聞に

 

お手伝いさん募集

 

と広告を出すんです。

 

 

そして、

電話をもらい、家で面接をします。

 

 

面接の日は

5人とか7人とか

予約が入るんです。

 

 

でも、、、

 

当日のドタキャンが多かったです!

 

 

家の目の前まで来て、

どうやら

 

「この家は大きいから、

掃除が大変そう!」

 

 

と、帰ってしまうらしいんですね。。

 

 

 

雇用がスタートしても、

初日で来なくなったとか、

色々なことがありました。

 

 

そして、

 

 

多かった時は、

お手伝いさんは、3人いました。

 

 

2人体制じゃないと、

家事が回らなかったんです。

 

たしか

月曜日から土曜日まで

頼んでいたので、

 

交代制で

3人お願いしていたんですね。

 

 

もともと

お手伝いさんをお願いしたのは、

 

姉が通った学校の校長先生が、

 

「お母さんが仕事をもっていても、

子供を鍵っ子にはしないでください。」

 

と言っていたそうで。

 

その校長先生に

母は感銘を受けていたので、

 

お手伝いさんを

雇ってくれたんだと思います。

 

子供に寂しい想いをさせたくない、

という母なりの愛情だと思います。

 

※当時は今と違って

幼稚園の数が圧倒的に少なかったので、

校長先生の言葉の意味合いも

今とはちょっと違うかもしれません。

 

それでですね、

 

3人も人を雇えば、

また新しい仕事が生まれるわけです。

 

 

それは、、、、

 

マネジメント!

 

 

母はいつも、

お手伝いさんのマネジメントに

心を割いていたように思います。

 

家にいても、

いつも何かをマネジメントする母の姿

見て育ったんです。

 

 

家に主婦が

3人いるようなものですから、

 

料理の味付けなり、

掃除の仕方なり、

 

いろいろなことに

主義主張があるのは当然のこと。

 

 

また、人間関係もありますから、

 

「あの人とは一緒に働きたくない。

会わないで済むように

シフトを組んで欲しい。」

 

とか、

 

そんなことを言われて、

頭を悩ませていた

母の姿を憶えています。

 

 

幸いにも、

 

長く勤めてくださった方で、

とても可愛がってくださった方も

何名かいるんです。

 

 

当時のわたしの年齢からは、

おばあちゃんのような方がいて、

 

いつも

 

「毎日30品目は

食べないとダメよ!」

 

と、いつも

たくさんの野菜を

食べさせようとしてくれたり。

 

 

まるでおばあちゃんのような存在。

 

その方が亡くなった時は、

本当に悲しかったし、

 

今でも時々思い起こして、

心のどこかに空虚さを感じます。

 

 

わたしは祖父、祖母が

わたしが生まれる前に

亡くなっているので、

 

祖父や祖母という存在は、

こんな感じなのかな、

と思っています。

 

 

 

そういえば、

 

家が何坪とか、

坪単価がいくらとか、

総額いくらとか、

 

そういうの話が

我が家では

当たり前になされていました。

 

 

小学校の頃、

友達の家に泊まりに行って、

 

「おばさん。

このおうちは

何坪ありますか?

このあたりは坪単価はいくらですか?」

 

と、わたしは

友達のお母さんに

聞いたそうなんです。

 

 

友達のお母さんはビックリした、

というエピソードがあります。

 

子供のわたしには

まるで悪意はないのですが、

そうは言っても、変わった子ですね!

 

 

母が経営者の視点で

いつも物事を見ていて、

それを口にするので

自ずとわたしもそんなことを

考えるようになったのでしょうね。

 

 

私を知る旅#16
【お金③】お金は湧き出てくるものだと思っていた

に続く…

 

あなたが、魂のままに

過ごせますように。


今日もありがとうございます☆

 

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