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ネムリノソコ

おたいらに

SSS選出作では、坂本見花さんの『スクラップ・ベイビイ』(出演:Sun!)の照明プランもやらせて頂いてて、なんやかやバタバタした覚えがあります。

『赤猫ロック』を本編でやる頃には、スッカリINDEPENDENTの規格が身体になじんでしまっていて、2nd seasonは2面舞台で死角が多くて、最終的に俳優さんを真ん中から動かさなくなっていましたが、坂本さんの作品は動く動く。
自分の作品より大変だったかもしれません。

だけど、面白かった。制約の多い企画モノの公演でも、ギリギリまで攻める坂本さんの姿勢はボクとは真反対で、得るモノも多かったです。

ボクは割と制約を受け入れて、なんならその制約よりも一回り小さくつくってしまう(特に最近。昔はそうでもなかった)。
それは、リハの時間をしっかり確保したいからです。
リハの時間をしっかり確保できた方が、俳優さんが落ち着いて本番に臨めますし、修正の時間もとれる。
結局、俳優さんたちのコンディションで作品の出来は決まってくるし、どうもボクは極端にそういう演出をつけてるらしいことも分かってきました。

何回もやらせていただいてるからこそ、身に付いた所作かもしれませんが、他の企画モノの公演に呼んでいただいたときも、基本的にこのスタンスですね。

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『赤猫ロック』もキッカケらしいキッカケはないので、場当たりはサッと終わらせてリハをやってました。

ところで、あの作品には影の主役がいまして60cm四方くらいのコンパネの板です。
それがヤマサキさんのアクティングエリアでして、実は、初演のときに初めて小屋でやったら、立ち位置がどんどんブレていった。

稽古場ではそんなことなかったのですが、ずっと正面向いてる作品ですし、走りっぱなしですし、暗くて照明だけだと立ち位置が取れないということが判明しまして、急遽、導入されました。

ちょっと段になるので、ブレ過ぎると足の裏の感覚で本人にも分かるという仕掛けです。
初演のあとも、なんとなく2ndに残ってて、ちょっと反ってしまってたんですが、本編の後2年ほどひっそり待っていてくれたのかと妙に感情移入してしまってSSSも、その後の通天閣も同じ板で旅しました。

とまあ、小屋に入ってみないと分からないこともあります。

この話、もう少し続きます。



ちょっとずつブログ空白期間にやった作品のことを振り返っているのですが、今日はINDEPENDENTの2nd season selection (通称SSS)に選出していただいた『赤猫ロック』のことを少し。

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本編(2009年)のことはオンタイムに書き残しているのですが、SSSのときのことはあまり残ってなかったので、『赤猫ロック』のことと、SSSのことを。

『赤猫ロック』は、なにせずっと走ってます。比喩でなく走ってます。作中ずっと同じビートを刻んでます。
これを「なんの演出もない」と言う方と「すごい演出だ」と言う方がいました。
前者の方にとっては、演出っていうのは派手な照明であったり音楽であったりするのでしょうね。

結果だけ観ると、誰でも良かったように観えるかもしれませんが、この作品は100%ヤマサキエリカのためだけに、ヤマサキエリカをもっとも美しくみせるためだけに出来ている作品です。

大阪・東京・福岡・沖縄と旅させていただきました。

まず、大阪のことですが、正直、思いがけずの選出で、2年前の作品でしたし、まったく一から作り直しでした。
初演の残像を振り払うのに、時間をかけた覚えがあります。

2年て、乙女が変わるのには充分過ぎる時間です。

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だけど、1st season のセレクションにも選んでいただいていたのですが(『カーニバル』出演:山本麻貴)、このときに私たちだけでなく、皆さん選出された気負いで調子を崩してはったのも、よく覚えていて、なにか新しいことをやったろうなんて思わずに、今の自然体で出来るモノを仕上げていこうと心がけていました。

初演と大きく違ったのは、準備期間と心がまえ。
たっぷり準備期間があり、「これは大変な作品」という心がまえがハナからありました。

ヤマサキさんはしっかり身体をつくってきてくれて、時間的にも体力的にも初演に比べて余裕のある製作期間になりました。
とはいえ、限界まで体力をふりしぼる作品であることは変わりありませんでしたけど。

もう少し、この話続けます。


『ツキシカナイ』の振り返りも最終コーナーです。

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死神シリーズの定番キャラ、厄病神を演じてくださったのはA級Missing Linkの横田江美さんです。

ちなみに横田さんは3代目で、最初が竜崎さん、2代目が高島さんです。

ボクは、今回の横田さんは、めっちゃいい出来やったと思ってます。めっちゃいい出来やったと思ってます。

最終的なボクのオーダーは『気持ちよくやって』でした。
『だいたい役者は演出から「気持ちよくやりすぎんとって」とかダメだしされるもんやねんから、今回は演出お墨付きなんやから、思い切り個人的に気持ちよくやって』とも言いました。

結果、大成功やったと思います。大成功やったと思います。

打ち上げでも「いや~、気持ちよかったですわ~」って言ってはったので、ホンマに気持ちよかったんやと思います。良かった。

横田さんは上手だし、押し出しも強いし、周りとうまく調和しはるんですが、演出や脚本の意図を汲み取って、これがまた上手く汲み取りはるんですが、かえって縛られてるコトがあるのが気になってて、もう、いっそ個人的な快楽を追求してみてほしかったのです。

結果、本人気持ち良くて、お客さんにも刺さって、いいことづくめやったと思います。
根っこの部分がしっかりしてはるので、うまくいったと思います。脚本を上手に使っていただきました。
これからも快楽を追求してほしいです。個人的に気持ち良くなっていい役者さんです。

さてさて、最後は西原希蓉美さんです。

『ツキシカナイ』の振り返りもこれでラストです。長かった。だって本公演だもの。

さて、今回の西原さん、前の週に本番が先に決まってはって、オファーしたときに「じゃあムリですね」とあきらめかけたのですが、西原さんが「え~、めっちゃ残念です~、出たいです~」とおっしゃってくださって、そうなりますと惚れた弱味で、大好きな女優さんなので、「じゃあ、やる?」と、なってしまいまして、出演していただく運びになりました。

なもんで、出番はちょっぴりの愛の神様「愛神(あいじん)」を演じていただきましたが、見事にピッタリで、作品にスパイスというか、アクセントを加えていただきました。


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という訳で、思い出し思い出し、取りとめなく書き留めた感じですが、『ツキシカナイ』の思い出はこんなところで。

好きな作品です。

今年の1月に應典院でやりました『ツキシカナイ』の振り返りも6回目です。

この作品は死神シリーズの4作目だった訳ですが、死神シリーズといえば、死神を始めとする神様の持ってる幟が欠かせません。

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最初の『ツキカゲノモリ』から、ずっと突劇金魚のサリングROCKさんに揮毫していただいております。

なんとも、好きなんですよね。サリングさんの書く幟の字。

もうすっかり作品に欠かせない意匠になってます。固すぎず、柔らかに見えて媚びない。
まじまじと見つめてしまったりすることがあります。

ここからはプチ・エピソードですが、サリングさんは毎回、幟の字だけを書きに来てくださいます。
サッと集中して書き上げられると、サッと帰られます。

ステキです。

幟の棒(柄?)は実は2本はミジンコ・ターボさんにお借りしてます。
最初は毎回お返ししてたのですが、運ぶのも大変ということで、今はミジンコ・ターボさんが使うときに返すという約束で借りっ放しになってます。

ありがとうございます。

なんとなく、キリが悪いし、次の話題にも移りにくいので、次に続きます。





『ツキシカナイ』のこと、最後になるといいなぁ。
8ヶ月くらい前のことだし。まだ、ブログに書いてない公演もあるし。

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公演のあと、満月の劇団員になってくれた高島奈々さんは満月には『ヤミウルワシ』『ツキノウタ』に続いて3回目の登場でした。

突然、言えない相手の子どもを妊娠したことを娘(諏訪いつみ)から告げられるお母さんの役で、あっけらかんとした、飄々としてて、たくましい役を演じてくれました。

笑顔がステキでしたね。この役は笑顔がポイントで、ボクのオーダーにしっかりと応えてくれました。

娘さんと一緒に事故で亡くなってしまう役でしたが、娘の方は突然の事故死に直面した心情を語るシーンがあるのに対して、高島さんの演じるお母さんは、唐突に物語からいなくなってしまう。

その死の際で、娘が母への思いを語る時に、やはり観る人が思い起こすのはお母さんの笑顔でないといけないと思うのです。
娘が母を語るとき、鮮やかにその笑顔が蘇る。そして、それは成功していたと思います。
いないところで演じることが出来ていたと思うのです。

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胎内記憶の話でもあり、物語には3人のお母さんが出てきますが、3人目のお母さんを演じたのは満月のみず。

早くに亡くなった親友(諏訪いつみ)の息子を引き取って我が子として育てます。実の娘(一瀬尚代さん)と分け隔てなく育てた、お母さんです。

物語は諏訪の演じるお母さんの物語と、その息子が成長し恋人を婚約者として家族に紹介する日の物語の2つの時間軸で進行しますが、その2つの物語をつなぐ役どころです。

みずの演じるお母さんの、親友への思いと、子どもたちへの思いが作品全体の背骨ですが、これを実に軽やかに演じてくれました。演技が軽いのと軽快なのは違うという言い回しを地でいっていたと思います。

どんなに深い悲しみを抱えていたとしても、どんなに辛い事件に遭ったのだとしても、どんなに強い愛情を秘めていたとしても、明るくすこやかに、そして軽やかに日常を過ごそうとしている彼女(みずの演じるお母さん)の姿勢には共感を覚えます。
圧倒的に襲いかかる日常というやつを、彼女はよく知っているんだろうと思います。

ただ、こういうコトは『脚本に書かれている』わけではない、ということをご留意いただきたいのです。
あくまでも、みずの描いた役の姿である、ということです。

たとえば、脚本を一言一句変えるコトなく、深い悲しみにうちひしがれ、折れそうになりながらも、必死に日々をしのぐ人物像として描くことも可能であったろうと思うのです。いや、可能です。

みずが、そして演出のボクが読み解いた、選び取った人物像はそうではなかった。
みずにしか出来ない、役を描いているのです。

もちろん、みんなそうな訳なんですが。

ボクは脚本に使われる役者はダメです、受け付けられません。役者は脚本を使わないと、と思うのです。ちょっと脱線しましたが。

どうも、続いちゃいますね。『ツキシカナイ』のお話は次でお終いということで。