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ネムリノソコ

おたいらに

『わたしの未来』の稽古が迫る頃に、唐突に、INDEPENDENTに何度も参加させてもらってるというプレッシャーを感じてきまして、ムダに時間を費やしました。

もともと、長らく大阪でも隅っこの方でほそぼそと芝居を続けてきましたので、プレッシャーもへったくれもなさそうなものですが。

よく言うのですが『芝居を始めたときに既にある賞やフェス』は、やっぱり特別なもので、ボクだとOMSのフェスとか呼んでほしかったですし、憧れで目標だったりしました。

逆にロクソフェスとかは特に興味がなかったりします(失礼!)。

もうすっかり演劇界とコミットすることが少なくなってしまって、あまり若い方と知り合う機会自体がないのですが、たまに應典院の企画などで知り合うと、ロクソフェスについて熱く語ってくださったりして、それはやっぱり賞やフェスとの出会い方ということなのかなぁ、と思ったりします。

今、芝居を始めた方にとってはINDEPENDENTもまた憧れだったり目標だったりすることもあると思うのです。

飽くまでその対象はINDEPENDENTであって、ボクなんかがなにをしようが、誰も知ったこっちゃないと思いますが、やっぱり下手なことは出来ないとこにきちゃったなと、唐突に思っちゃった訳です。

2nd season までは、INDEPENDENTでは普段やらない、やれないような実験的な要素の濃い作品をやる、それを満月の本公演にフィードバックする、というのが基本姿勢だったのですが、タイトルを決めてから、そういう意識の変化があって、考えていたプロットをバッサリ全捨てにしまして、一から考え直したのが、上演した作品でした。

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もともとのプロットは永遠に封印です。

続きます。



ここのところ、ざくざくとブログ空白期間のことを振り返っておりますが、実のところ後から自分で読み返すために書いてるところが大きいです。

 ほんとはオンタイムに書いたことの方が、いいのですが、まぁ、少しでも風化しないウチにと思いまして。

2012年のINDEPENDENT:12に参加させて頂きましたのが、西原希蓉美さんとの『わたしの未来』でした。

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INDEPENDENTの制約(?)のひとつに、共通フォーマットのタイトルロールを流す、というのがあります。
上演前でも、ちょっとやってからでも、同時に流す曲も、そこら辺は割と自由なんですが、デザインは共通です。

タイトルを決めたあと、最終的に表記を決めるのに、このタイトルロールのフォントに合う表記はどれか、比べてみて決めた覚えがあります。

つまり『私の未来』なのか『私のミライ』なのか『ワタシノミライ』なのか…、ってことです。
最終的にタイトルロールの映像で出た時に一番しっくりくるなと思って『わたしの未来』に決めました。

SSSで散々このタイトルロールを見たというのが、影響してると思います。
ゲシュタルト崩壊気味になってて、なんかよく分からんなぁ、と思うようになってて、まぁ、最初から分かってることなので、作品に織り込んでいこうと思ったのです。

タイトルを決めた時、全然別のプロットを考えていました。

ちょこちょこ続きます。




最近、iPhoneにしました。

と思いましたら、結構、あっという間にiOSがバージョンアップしまして、せっかく慣れたと思っていたのですが、
また、なんとなく落ち着きません。

特に落ち着かないのが、Safari。

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なんだよ、この俯瞰なアングル。

思わず、アゴが上がり気味になってのぞきこんでしまいます。
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SSS最後の沖縄は、行けるかどうか瀬戸際でしたが(仕事的に)、なんとか楽日に滑り込みで行けるように段取りがつきまして、でも、ムリしてたので、ほとんど徹夜で乗り込むハメになりました。

でも、行って良かった。

過酷な状況は、すでにたくさん書かれていますので割愛しますが、SSSのゴールに立ち会えて、本当に良かったと思います。

と、書いていたらやっぱり読み直したくなって、相内さんの沖縄顛末記と、仁張さんのレビューを読み返してしまった。
やっぱり、ちょっと泣いた。

しかも、『赤猫ロック』はその大トリをいただきまして、ヤマサキエリカは走り切りました。


ありがとう。

ほかに言うことがない。

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いかんせん徹夜明けでしたので、酔いが回るのがはやかったし、ふわふわしてましたが、打ち上げはたいそうお酒が美味しかったです。

そこで、札幌のイトウワカナさんと初めてゆっくり話ができて、意気投合できたのもうれしい記憶です。
それがINDEPENDENT:通天閣で脚本を提供していただくのにつながりました。

結構、世の中を狭く生きているので、遠く札幌に同志がいるという思いは、こそばゆくも嬉しいものです。

このあとのINDEPENDENT:通天閣のとき、加藤さんと谷屋さん、横田さんとSSSのメンツが観にきてくれて、初日の打ち上げに残って飲んでいってくれたのですが、そこでボクが言ったのは「SSSのメンバーは戦友感がハンパない」ということです。
同じ作品を一緒に作ったのではなくて、別々の作品をそれぞれに同じフィールドでやり切った。そして、互いにリスペクトし合っていたと思います。


INDEPENDENT:通天閣の有料パンフレットにも書きましたが、「最後に言っておかないといけないことがある」。

ヤマサキエリカは稽古中も含め、一度も途中で立ち止まったことがない。ずっと駆けつづけている。

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SSSの2公演目は東京でして、久しぶりのアゴラ劇場でした。

ここで、ちょっと調子を狂わせていたヤマサキさんと本番1時間くらい前に小洒落た喫茶店でじっくり話し込みました。
この時のことは割と鮮明に覚えていて、しっかりと話し込むということ、お互いの納得のラインを明確にするということの大事さを改めて認識しました。

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この後の公演でも、稽古中に何度も思い出す場面になりました。

SSS的にも色々ありまして、なかなかくたびれた東京でしたが、SSSのメンバーが全員そろうのは東京が最後で、それから全員が全国に散っていくのでした。

確か、仕事の兼ね合いで打ち上げには参加出来ず、新幹線に乗ったような気がします。
なにせこの頃、忙しかった。

次の福岡は初めて、本番につけない公演になりました。
その頃、天王寺公園でゆるキャラと戯れてました(仕事です)。
みなさん、今までで一番良かったと褒めてくださってたので、ヤマサキさんはいい仕事をしたんでしょう。

いよいよ、最後の沖縄ですが、続きます。