五十四番札所 近見山  宝鐘院 延命寺 鐘楼の名前は近見次郎・三郎 | ドライブお遍路始めました

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四国八十八カ所 ドライブお遍路の記録です

令和6年7月13日
12時55分
五十四番札所 近見山
宝鐘院 延命寺到着飛び出すハート

 
 
 

 

 

 
 

 

仁王門

 
 

仏教詩人・坂本真民さんの

念ずれば花ひらく
 
 
山門

この山門は今治城の城門の1つだった物を
譲り受けたそう
 

こちらは修行大師像かな?
菅笠をかぶっていないので
ちょっとわかりません
 

 

 

 

鐘楼1

延命寺には梵鐘が二つあり、
それぞれ近見次郎近見三郎
名前がつけられています
現役のこちらは近見三郎さんです
 
近見次郎さんは駐車場近くにあったので
帰りに見ることにします
 
初代『近見太郎』さんは
長宗我部元親軍に持ち去られ
それを嫌がって海に飛び込んで波
今は海に沈んでいるそうです
 
かつては現在の地の北にある
近見山の山頂に伽藍があったそう
それで近見山宝鐘院というのですね
 
手水舎

この写真の左奥に
今治市指定文化財の銘木ツブラジイ
写っていました
私は見逃しました💦
 

真念法師建立の標石

1691年四国巡拝途上で亡くなった方

五十余年の間に二十数回霊場巡拝され、

巡拝者のために数々の慈善事業をされたそう

四国に二十四基建立された標石の一つ

 

四国霊場で二番目に古いものだそう

 

 

 

境内

 

 
本堂
聖武天皇の勅願で行基菩薩が
宝冠不動明王を刻んで炎
開いたとされ、その後弘法大師が
信仰と学問の中心道場として再興し、
「圓明寺」と名付け四国霊場に定めた
しかし53番札所「圓明寺」と
間違えられやすいため
「延命寺」に改名された
 
鎌倉時代には仏教入門書とも言われる
八宗綱要』を学僧・凝然(ぎょうねん)が
ここで記しているそう
 

ご本尊は宝冠不動明王

数々の火災の難から逃れているので

火伏せ不動尊とも呼ばれています炎

 

 

 

 

 

本堂前に宝冠不動明王

いらっしゃいました

かっこいいですね

宝冠をかぶった不動明王は珍しいです

 

本堂のごりやく錫杖を

まわします

 

 

大師堂は本堂脇の階段を登っていきます
 
 
大師堂
弘法大師像の右脇に
興教大師像があるそうです
 

興教大師・ 覚鑁上人(かくばんしょうにん) は

1114年高野山に登り

荒廃していた高野山を復興し

教学の振興を果たした方

真言宗 中興の祖と言われています

 

興教大師以降の真言宗を新義真言宗といい

長谷寺を中心とした豊山派

智積院を中心とした智山派

分かれるそうです

 

延命寺は豊山派です

 
 
 

大師堂でもごりやく錫杖を
まわします
 
 
 
納経所
 
 
 
 
薬師堂
もともと近見山の山頂にあった
延命寺の奥の院だったそう
 
 
 
近見次郎さんは駐車場のそばにあります
 
年に一度、大晦日の時に使われるそう
今治市の文化財となっています
 
 
 
今回はこのこぞうくんと
お遍路をまわります
 
 
納経
今回の記念スタンプは
衆生
 
延命寺様より流れ星
わたしたち衆生
(生きとし生けるものすべて)を
いつもじっと見守ってくださっている
お大師さま(弘法大師さま・空海さま)は
高野山奥の院にいまだおわします。 
でも、いつでもどこにでも現れてくださって、
落とし穴があれば そっとふさいでくださり、
どの人にも
” あれっ!今の方は
お大師さまだったような…” と、
助けていただいたりした経験が
おありではないでしょうか。
ひとりの仏様を拝んだら、
ほかのみんなの仏様も喜ばれますよ! と、
お大師さまは、
平和共存のお考えを広めておられます。 
虚空尽き涅槃尽き衆生尽きなば
我が願い尽きなむ” と、
わたしたち衆生は常にお大師さまに
見守られて生きているありがたく
もったいない一人ひとりなのです
 
 
御影と88記念カード
宝冠不動明王
 
のうまくさんまんだ ばざらだんせんだ
まかろしゃだ そわたや 
うんたらた かんまん
 
 
次は55番札所
別宮山 金剛院光明寺
南光坊へ
車で10分車ダッシュ