五十五番札所 別宮山  金剛院光明寺 南光坊 | ドライブお遍路始めました

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四国八十八カ所 ドライブお遍路の記録です

令和6年7月13日
13時45分
五十五番札所 別宮山(べっくさん)
金剛院光明寺 南光坊到着飛び出すハート

 

山門は四天門です

 
 
 
 

 多聞天
 

 持国天
 

 広目天
 

 増長天
 

そして鐘楼門だったので
ここで鐘を撞きました
 
 
四国霊場で唯一名前に『坊』がつくお寺で、
大三島の大山祇神社の別当寺の一つだったそう
 
大山祇神社には24の別当寺があったが
海を渡って参拝しなければならないため
伊予国越智郡日吉村に神社の別宮を創建
その時24の別当寺のうち八坊を
日吉村に移す
 
後に長宗我部元親の兵火で炎
八坊は焼失したが南光坊のみが再興された
 
 
手水舎

大師堂脇の手水舎
こちらは今使われていないようです
 

 

 
 
 
 
ものいへば 唇寒し 秋の風
松尾芭蕉
 
 
二つ目の手水舎です
本堂前の手水舎
こちらで手を清めます
 
 
本堂
ご本尊は大通智勝如来様
聞いたことがありません
 
 
HPよりお借りしました
 
 
難しいのですけど
過去世における釈迦の父であり、
師である方とのこと
『法華経』の化城喩品第七に
説かれている仏で、
大山祇大明神の本地仏とされて
大山祇大明神を氏神とする
河野水軍に信仰されたそう
 
インドのある国の王子であったが
修行の結果仏になることができたそう
 
 
 
本堂脇の大日如来像
 
 
 
 
修行大師像
 
 

本堂と大師堂の間に道路が横切っています
道路を渡って大師堂へ
 
 
大師堂
今治空襲を逃れたお堂
 
 

 
金刀比羅宮

こちらも今治空襲を逃れたお堂だそうです

讃岐の金比羅宮から勧請している

金比羅大権現を祀っているそうです

 
薬師堂
 
 
十三仏
 
 
慈母観音様
 
 
納経所
 昔は宿坊だったようです
 
川村驥山(ぎざん)の菅笠
 
川村驥山さんとは
書道界で初めて芸術院賞を受けた方です
 
書家川村驥山さんは昭和29年73歳のとき
娘を伴い順打ちで南光坊へ
娘が納経所に来た時に、その時の住職が
菅笠の文字があまりにも立派なのに驚き
書いた人の名を尋ね
川村驥山であることを知り、
結願の後に菅笠を奉納してもらったとのこと
 
 
内側からしか見れなかったので
 
 
HPから写真をお借りしました
こちらに
応無所住而生其心
(おうむしょじゅうにしょうごしん)と
書いてあるそうです
 
禅の教えで
何物にもとらわれない心で
すべてに当たれ
という意味だそうおやすみ
 
 
 
こんな御朱印があるそうです
すてきな切り絵です
 
 
筆塚
 
 
 
 
納経
 今回の記念スタンプは
皆共成佛道
(かいぐじょうぶつどう)
 
南光坊様より流れ星
「願以此功徳 普及於一切 
我等与衆生 皆共成佛道
 (がんにしくどく ふぎゅうおいっさい
がとうよしゅじょう かいぐじょうぶつどう)
 
(願わくはこの功徳をもって普く一切に及ぼし
我らと衆生と皆共に仏道を成ぜん)
 
は普廻向文と云い、
日常の勤行や法会の終わりに
唱えられる偈文で
法華経 化城喩品』に説かれています。 
「自分が修行した善を廻らし、
すべての生きとし生けるものが
皆ともに仏道を成就することを願う」
という意味です。 
先の『化城喩品』では南光坊御本尊
大通智勝如来』が長い修行の末、
 悟りを開いたことを知って、
天上の梵天が大通智勝如来
説法を請う時に、この偈を唱えました。
 
菩薩と呼ばれる大乗仏教の修行者は、
修行の功徳を自分の為だけでなく、
他者の悟りや幸せの為にも廻向することが
大切であるとされています。 
仏縁あって四国遍路をなされるとき、
積善の功徳を廻向し、
共に正しい仏道を歩んで参りたいものです
 
 
御影と88記念カード
大通智勝如来様
 
なむ だいつうちしょう ぶつ
 
 
 
このあとはお隣にある
大山祇神社を参拝します
 
 
 
鳥居から入ります
 
 
 
 
 
 シンプルで歴史を感じる拝殿です
 
 
 
 
次は五十六番札所
金輪山 勅王院
泰山寺へ
車で15分車ダッシュ