中学・高校は、学校という枠、多くの制約があるものだが、その中で生きている限り意外に安全なものだし、自分で考えることもない。
しかし、私の中高校は枠が非常に少なく、わずかにある決まりを私はどんどん無視していたし、そんな生徒に対して教師は全く気にしないで放置しておいてくれた(と勝手に私は思っている)。
私はどんな束縛も受けずに(束縛はあったのだろうが私は勝手に気にせず)、自由に好きなことをやることができた。
学校側はなぜ、生徒の自由を認めていたのか、確かなことはわからないが、卒業して大学に行くとか、大学を卒業した後、社会に出る時には学校という枠はなくなるはずだ。
自由の中で自分の道を自分で探すことができるのが、本当の教育だと考えていたのではないかと思う。私は勝手にそう解釈して学校生活の中でも授業の中でもどんどん自由を一人で見つけていた。
多少の不自由がある時は、自分が求める自由を把握しやすい。しかし全くの自由であるときは、自分が何を求めているのかわからなくなる。そういうことは良く起こる。
おかげで卒業した時に何かを見失うということもなかったし、大学に入ってからも目標がなくなるわけでもなかったし、卒業した時も就職はなかったけれども、自分を見失うことはなかった。
そういう意味で自分一人の力ではないとはいえ、自分が意識して進んでいるという感覚を持てていたのは、中学高校の教育の自由さだったと思うし、ありがたいと思う。
小さな金魚鉢で生活していた金魚を、大きな鉢に移すと、なかなか広々と泳いでくれない。広いんだよ、もっと好きに泳いでいいんだよ。でも金魚はそれまでの行動パターンをなかなか変えることがない。
人もこんな感じになることがある。今までの行動パターンは慣れていて、ある意味一番合理的でもあるのですぐには変える必要がないと思えてしまう。
新しい場所、広い所、自由度の高いところで行動するのはとてもチャレンジングでリスクもある。
中々自由に行動することは難しい。
日常生活の行動ならそれほど問題と考えなくてもよいかもしれないが、考え方がこうなっていることには気づきにくい。自由になることは本当に難しい。
(代表:橋本 裕子)
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