メリーゴーランド -2ページ目

もっと繊細になるべきじゃないのか。

今日はルーキーズ最終回。

なかなかいいドラマではあったが、スラムダンクは超えることができなかったかとちょっと残念な気分になる。

結局、終わり方はスラムダンク同様、ライバル校に全力で戦って勝ったものの、全力を出し切ったナインは次の試合でコールド負けであっけなく終わる。

確かに高校生の部活というものはそういうもののような気がする。

私の高校時代もそうだった。

ベスト16までいったのに、格下相手に1点差で負けた。

悔いを残して青春時代を終える。

そんなものなのだろう。

青春とは人生の中で一度しかなく、儚くほろ苦く心の中に刻まれていくものの総称なんだろう。

だからこそ今でも強く心に残る。

あの時、もっと力を出せていればと。

そうやって人は青春を糧にして、その後の人生を歩んでいくのだろう。

逆に言ってしまうと、青春という苦い経験を味わった結果、青春時代のような力を出せないのではないだろうか。

人間は歳をとるごとに臆病なり、勇気を持てなくなる。

だから私は思う。

青春時代は特別な日々だったと。

そして、もう取り戻せない青春時代を超えたいと。

もっとアヴァンギャルドな人生を送りたいと願う。

自分をオーバドライヴしたその世界にいきたい。

話は変わるが私は、今日のある新聞の一面に強い憤りを感じている。

その新聞の内容は最近起こった地震の内容だった。

地震の被害を伝える一枚の写真。

そこに写し出された光景は地震の凄まじさを物語る本屋の無惨な姿だった。

私は東北地方に親戚はいないが、少なからず心苦しくなる。

そして、自然の力に恐怖を覚える。

新聞はそうやって人の心をつなぐものである。

が、しかしその写真をよく見るとルーキーズの漫画がわざとらしく一番上にのり、堂々とこちら側を向いている。

人為的にやったとしか思えないその風景に強く憤りを感じる。

私が思った被災者への思いの行方はどこにいってしまったか、そんなくだらない価値によって失われていってしまった。

ネットで生きている私たちの時代だからこそ、言葉やそれを伝える為の写真にはもっと責任を感じてほしい。

電波でしかつながることのできない場所だからこそもっと紳士に、誠実であってほしいと思う。

儚いものだからこそ、繊細だからこそ、本気で伝えないといけないのだと思う。

将来伝えるという仕事に就く自分にはとても悔しく、悲しい出来事だった。

2頭身ロボットから得られる教訓。

今日は会社で3Dの仕事をする。

プロジェクト室にいて唯一私が活躍できる場。

それは当然なのだが。
なぜなら、プロジェクトメンバーの中で唯一、私だけがそのソフトが使えるから。

3Dの仕事は3割はパソコンが処理しているのを待つ。

残りの7割はひたすら格闘。

3Dをやると細かいところのおさまりがよく見えてとても勉強になっている。

仕事の話はこの辺にしておいて、今日は映画の話。

今年の夏に映画。

崖の上のポニョ

内容は全く知らないが、宮崎アニメはほぼ全部見ているのでみたいと思う。

新世紀エヴァンゲリヲン劇場版第2弾

これはエヴァファンとしては見ないわけにはいかない。

それほどオタクではないが、あのアニメは面白い。

一番感動することは、要塞都市。

あんな都市ができたら、今までの感覚なんてなくなってしまう。

ゴンドラレールいらず、ヘリポートいらずの建築。

いや、それよりも建築基準法なんてなくなってしまうだろうなあ。


エレベーターの技術の応用で作れないのもだろうか。


話を戻して映画のはなし。

最近の映画(私が見ている映画だけかもしれないが)はハッピーエンドがなさ過ぎる。

結末が予期できてしまったとしても、私はハッピーエンドを好む。

だって人が死ぬのとか見ても面白くないではないか。

ダメな映画ほど、人を殺して盛り上げようとするとはよく言ったものだ。

ド直球のハッピーエンドで人を感動させれるような映画をみたい。

例えばドラえもんのように。

(アニメオタクではないが今日はアニメにこだわることにする)

ドラえもんのような子供向けのアニメは主人公が死んでしまっては成立しない。
ハッピーエンドの呪縛に襲われながら、前作よりいいものをつくろうとすることはとても大変なことだと思う。

でも、ドラえもんに私は感動する。

予期できたとしても(むしろ予期できるからか)その結果は誰もが望んでいる、そうあって欲しい結果だから感動できるのだろう。


なにを言っているのかわからなくなってきたが、まあ良いとする。

つまるところ、私が言いたいことは当たり前のように人を感動させることはとても難しいということ。

人を感動させるには、相当な歳月を費やす必要があることと、熱い気持ちと高い志。

そして、自分を信じる勇気である。

ドラえもんはそんな当たり前でありながら、絶対になくてはならないことを私に伝え、強い気持ちを蘇らせてくれる。




努力は時に、嵐よりも激しく人の心を揺さぶる。

今日は仕事でプレゼの準備とリハーサル、そして午後4時に本番。
滞りなく進んだようで一安心。

一息つくつもりが、予想外に疲労が溜っていて、懇親会はパスして午後9時頃帰社。

家に帰って一通りの生活を済ませ、プライベートでの仕事をする。

少しカタがついたところで、ミネラルウォーターを片手にブログを更新中。

最近、また肩こりがひどくなってきている。

そろそろ整体にでも行くべきか。

そんなことを考えながら今日一日を振り返って頭の中をメリーゴーランドする。




メリーゴーランド中・・・・・。





今日は実家に帰省して5日目。

東京に置いてきた(追い出されたという方が正しいのだが、理由は後ほどわかる。)彼女のことをよく考えてた一日だった。

それもそのはず、私も人のことは言えたものではないが、彼女はひとつのことに集中すると止まらない性格。

彼女は今、ある夢を掴む為に、勉強をしている。

その資格の試験日まで、あと4日である。

その勉強に集中する為に私は追い出されたのである。

話がそれてしまったが、彼女のことを考えるのは先ほど述べたように、一心不乱なその性格にある。

今週みたいな暑い日が続くと、東京で干涸びているのではないかと心配してしまう。

仕事も忙しいようだ。

まあでも、私の不安をよそに意外と自由気ままに生活しているのかもしれないなあ。

明日は給料日。

頑張った彼女になにかプレゼントをあげよう。

受かる・受からないは別として、努力することは重要なことだと思う。

結果はそのおまけのようなもの。

やっぱり努力している人は本当に素敵だと思う。
例え、些細なことでも。

僕は君の努力をわかっているし、感動しているよ。

そう。

僕も頑張らなくては。

日々精進、日々精進。

自分にそう言い聞かせて、今日は就寝することにする。