もっと繊細になるべきじゃないのか。 | メリーゴーランド

もっと繊細になるべきじゃないのか。

今日はルーキーズ最終回。

なかなかいいドラマではあったが、スラムダンクは超えることができなかったかとちょっと残念な気分になる。

結局、終わり方はスラムダンク同様、ライバル校に全力で戦って勝ったものの、全力を出し切ったナインは次の試合でコールド負けであっけなく終わる。

確かに高校生の部活というものはそういうもののような気がする。

私の高校時代もそうだった。

ベスト16までいったのに、格下相手に1点差で負けた。

悔いを残して青春時代を終える。

そんなものなのだろう。

青春とは人生の中で一度しかなく、儚くほろ苦く心の中に刻まれていくものの総称なんだろう。

だからこそ今でも強く心に残る。

あの時、もっと力を出せていればと。

そうやって人は青春を糧にして、その後の人生を歩んでいくのだろう。

逆に言ってしまうと、青春という苦い経験を味わった結果、青春時代のような力を出せないのではないだろうか。

人間は歳をとるごとに臆病なり、勇気を持てなくなる。

だから私は思う。

青春時代は特別な日々だったと。

そして、もう取り戻せない青春時代を超えたいと。

もっとアヴァンギャルドな人生を送りたいと願う。

自分をオーバドライヴしたその世界にいきたい。

話は変わるが私は、今日のある新聞の一面に強い憤りを感じている。

その新聞の内容は最近起こった地震の内容だった。

地震の被害を伝える一枚の写真。

そこに写し出された光景は地震の凄まじさを物語る本屋の無惨な姿だった。

私は東北地方に親戚はいないが、少なからず心苦しくなる。

そして、自然の力に恐怖を覚える。

新聞はそうやって人の心をつなぐものである。

が、しかしその写真をよく見るとルーキーズの漫画がわざとらしく一番上にのり、堂々とこちら側を向いている。

人為的にやったとしか思えないその風景に強く憤りを感じる。

私が思った被災者への思いの行方はどこにいってしまったか、そんなくだらない価値によって失われていってしまった。

ネットで生きている私たちの時代だからこそ、言葉やそれを伝える為の写真にはもっと責任を感じてほしい。

電波でしかつながることのできない場所だからこそもっと紳士に、誠実であってほしいと思う。

儚いものだからこそ、繊細だからこそ、本気で伝えないといけないのだと思う。

将来伝えるという仕事に就く自分にはとても悔しく、悲しい出来事だった。