メリーゴーランド -3ページ目

人が好きです。

お風呂あがりにシャバダバを飲みながら一服。

今日1日の中で一番ゆっくりできる時間。。。

ゆったりした時間を過ごす。

も、束の間。

妹に電話で呼び出され、駅まで迎えに。

久々に実家に帰ってゆっくり過ごせると思っていたのに、そんな儚い思惑は脆くも崩れ去り、現実に戻る。

でも、妹には久々に会うので少しばかり顔がにやけてしまう。

勘違いされては困るので先に言っておくが、私はシスコンではない。

なんというか、つまりは旧友に会うような感覚に近いのだと思う。

説明はつかないが、にやけてしまうのだ。

ちなみに私の妹は私とは性格が全く違う。

どっちかというと私は人に対してあまり心を開かないし、テンションの上り下がりがあまりない、扁平足人間である。

妹は対照的に浮き沈みが激しい人間である。



こんなに近い人間ですらこんなに大きな違いがある。



やっぱり人と話たりする、出会ったりするのはとても素晴らしい。

本当に人が大好きです。

だからやっぱり私が目指している仕事は、私にとって天職だと感じた。


もう迷わず、突き進む決心が今日やっとついた気がする。

江ノ島

昔は暇さえあれば江ノ島に自転車でよくいった。
今日は最近知り合ったある人と1年半ぶりに江ノ島に行ってきた。
その人は某フラワーアーティストのもとでスタッフとして働いている。

毎回ひとりで行っていた江ノ島に知り合ったばかりの人と行くのは少し不思議な感覚だった。

なにか自分の一部を見せるような羞恥心にも似た感覚があった。

ちょうど、子供が自分の大切なモノを見せるような、複雑な心境であった。

結果、私の勘違いなのかもしれないが、自分だけ満足していたような気がする。

少なからず、江ノ島に対する温度差はあったと思う。

やはり、自分の好きな場所やモノを共感してもらうのはなかなか難しいようだ。

それと私の説明や紹介、つまり伝えること能力のなさを少しばかり露呈してしまったようにも思う。

私が目指す職業は、伝えるという行為がとても重要である。

いや、すべてと言っても過言ではない。

もう少し頑張ろう、自分。


反省はこのぐらいにして、今日の江ノ島での発見、気づきを綴る。


江ノ島はエスカレーターで登っては行けないということ。

エスカレーターの方が疲労もなく、頂上まで行けるという快適さはあるが

その分、達成感がなくなってしまう。

石段をひとつひとつ踏みしめながら、通り過ぎていく緑を見ることでゆっくりと心が浄化され、高揚していく。

その過程が江ノ島散策の醍醐味であるし、江ノ島を本当の意味で体感する第1歩のように感じる。


今度は私の中で一番大切な人と行きたいと思う。

君なら共感してくれる気がするし、もっと上手に伝えることができる気がする。





自分にとって文章を書くということの意味

私は文章を書くということにおいて並外れた才能を持ち合わせているわけではないし、それほど上手に書けるわけでもない。

というより、完成された文章を書くことはとても不得意で、起承転結のある立派な文章など書けない。
ロマンティックな詩を書けるわけでもない。


では、なぜ文章を書くのか。

ひとつは、私にとって文章を書くという行為は自分の疑問に感じていることを文章化することで納得いくまで自分と語り合うことであり、2人の自分と対峙する行為なのである。

だから、支離滅裂な文章をとことん書き殴り、挙げ句の果てには結果がわからずに投げ捨ててしまうことも日常的なことである。

完成された文章なんて小説家が書けば良いことだし、結果を想定しながら書く文章は私にとっては書くに値しない。

そう、頭で理解していることをわざわざ文章にする必要は私にはない。

もうひとつの理由は、一般人である自分も臍のゴマ程度ではあるが、生きている以上、なんらかの軌跡を残している。

どんなに些細なことでも、その軌跡をその時の新鮮な状態で記録として残したいと思っているからである。

それは、他人には無意味だと思えることであっても、自分なりにそのときに考えたことを大切にしたいという気持ちの表れでもあるし、いろんな人との出会いを大切にしていきたいということ。

これは私の持論であるが、人生において人と出会うことや、自分が考えることに大きいも小さいもないと思う。

だからどんなに繊細なことでも大切にしたい。

いや、むしろ繊細であるからこそ大切にしたいと思う。