脱走兵毛利元貞の「傭兵修行」の単行本版は読んだけれど、文庫本は読んだ事がない。ヤフオクで100円均一本として出品されていたから、落札したのが届いたので読んでみた。
単行本は平成2年に出ていて、この文庫本は平成9年に出ているが、誰かから「外人部隊を去った」経緯を指摘されたらしく、周囲から「外人部隊を去ろうとする毛利を説得されたが、それを振り切った」みたいな記述が附記されている。単行本に掲載されている外人部隊での戦友と映った写真が削除されているので、誰か知らないが第13准旅団に在隊した事がある人から何か言われたのか?
序文で単行本では「某週刊誌」とあるが、文庫本では「週刊プレイボーイに掲載された落合信彦氏の「傭兵修行」という海外レポート」と隠す必要がない事を明らかにしている。
一番おやっと思ったのは、新井国右の記述がバッサリと削除されているところ。毛利元貞の事だから、いい加減な事を書いたら、新井国右から指摘されて削除せざるを得なくなったのだろうか。
文庫本で三島瑞穂から「生意気なガキ」と見られた事を追記している。内容からして、毛利が三島瑞穂と会ったのは昭和末だから、昭和39年生まれの毛利は20代前半だ。親本が出た時点でも毛利は26歳だ。三島瑞穂は毛利の年齢と経歴で、彼が陸自と外人部隊で任期を全うしないで脱走した事に気がついただろう。
とにかく「傭兵修行」という本は作者が二回も脱走したという華麗なる経歴の持ち主なのに、上から目線で陸自と外人部隊を論じている不愉快な本だ。
「フランス外人部隊から帰還した男」ではアルファベットの下位の姓だから事故機に乗らないで命拾いをしたという第2外人落下傘聯隊の隊員はマガジンハウスの「外人部隊」の著者と同一人物だろうが、「傭兵修行」では、そんな話しは消えて、ミラン対戦車ミサイルの射手に変わっている。第2外人落下傘聯隊に所属していた3人の日本人の1人としか会っていないように「傭兵修行」で書いているのに。「青春のブラックホール」の主人公が、まさにミラン対戦車ミサイルの射手だ。毛利がフランス外人部隊に在隊中の昭和59年に「青春のブラックホール」は出ているから、この本を知ったのが、最短でもフランスの日本語書店の店頭だろう。「外人部隊」ではジプチで毛利と会った事は触れていないが、「青春のブラックホール」をこの本の主人公から借りたとあるから持参してジプチは行っていないだろうけれど、四方山話で「青春のブラックホール」について話したかもしれない。毛利が日本に逃げ帰ってから書店で「青春のブラックホール」を見つけたのかもしれないし、「フランス外人部隊」を書く際に「青春のブラックホール」を読んでいるとおぼしき柘植久慶から教えてもらったのかもしれない。(2/1追記・ヤフオクで落札した「フランス外人部隊から帰還した男」で確認すると、毛利元貞が第2外人落下傘聯隊に所属している日本人隊員と会ったのはパリでの事。もっとも「フランス外人部隊から帰還した男」では、この時点で初めて日本人隊員が第2外人落下傘聯隊にいた事を知ったとあるが、「傭兵修行」ではジプチで第2外人落下傘聯隊で日本人隊員と出くわした時点で、この聯隊に日本人隊員がいる事を知っているように書かれている)
親本ではバレバレの「ダライ・ラマ14世のボディーガードを訓練した」という件は、ダライ・ラマと一緒に映った写真まで掲載しているのに、どこの国で訓練したのか、という事を書いていない。ダラムサラはインドにあるのだから、隠す必要性などないのに。毛利の隣にいる「ボディーガード」は背広の襟元に毛利と同じバッチを着けているように見えて、毛利を含めて3人が両手にカターを持っているように見えるから、実際は右翼団体あたりがダラムサラに行った際に毛利が同行でもしたのではないか。
麻原がダライ・ラマに会った事を箔付に利用した事を連想したので検索してみると、ダラムサラで事前予約すれば誰ともダライ・ラマと会える旨がヒットした。
傭兵ならば、自分の仕事を書いて飯の種にするのはどうか、と思うが、口が軽すぎるからか、経歴詐称がバレたのか、それとも陸自と自衛隊での脱走歴で分かるように毛利は飽きっぽいから、傭兵を廃業して「SWATの教官」になったという記述が追記されている。人にものを教える事を吹聴するのが好きな御仁だ。この後、毛利は華麗なる軍歴を封印して、クレーマーなどに対する説得を専門とする業界に転身したらしいが、今は何をしているのだろう?