軍事ものの書店。 | 無駄話。

無駄話。

鬱病・適応障害持ちが書く与太話です。「下劣な党派心」による「あら探し」が多いので、合わない方はご遠慮願います。

 ネットで見つけた軍事と歴史物を扱う新刊書店へ行ってみた。品物は全てビニールをかぶっていて見られないが、それなりの品揃えだった。ドイツ軍の第15コサック騎兵軍団を書いた英語の本(帰ってから奥付を見たらドイツ語の本の翻訳だった)を買った。こういう店ならあるかな、と店の人にロシア解放軍や国家人民軍、朝鮮軍(第17方面軍の前身の方)、トゥハチェフスキーの伝記等について等を聞いてみたが、無いとの事。洋書はあってもビジュアル的なものしか扱わないとの事。青い師団についての本はあったが、15,000円強したのでやめた。こういう店なので当然かもしれぬが、知識があって結構話し込んだ。平日は23時まで開いているという。
 ここに行く途中で「正論」を買ったが、相も変わらぬお粗末ぶりで、北海道へ「強制連行」された中国人は八路軍、土匪等々と書かれている。そもそも日本軍が何故中国にいたのか、という肝心な事があるが、それは置いておくとして、八路軍は正規軍ではないか?八路軍=中共軍と思っているだろうが、言葉の由来も知らないのか…。「東スポ」なみの雑誌だから相手にする必要はないが、こういうものを読んで「日本を元気にしよう!」と思う者がいるから、困るのだが。買ったのは石田ひかりが表紙になっていたから。この雑誌は最近まで絵が表紙だったのが、変わったらしい。最近は「週刊現代」でも表紙は文字に変わったが、面白いものだ。系列の週刊誌が「あまちゃん」では「ZBA!」とパロディーにされていたが、NHK批判連発!の雑誌の表紙がNHK職員(今は外郭会社に出向しているらしいが)の妻なのだから。他に洞口依子と余貴美子もいるし、浅野温子のようにNHK職員の母親という人もいるから、まだ飛ばせる。昭憲皇太后について書かれた記事で既婚者が女官になれるようにした、とあるが、それって昭和天皇の時代に入ってからで、それも貞明皇后崩御まで皇太后宮職では独身者が勤務していたのではないか?皇室を敬う格好はしているが、いい加減なものだ。この種の雑誌で「お東騒動」をどう扱うのか知らないが、石田ひかりの義理の祖父は「大谷家に背く反逆僧」と扱われるのか?
 第15コサック騎兵軍団の本は基本的に軍装を紹介する図録だが、それなりに読ませるところもあって、騎士十字章受章者についての頁もあった。ヘルムート・フォン・パンヴィッツ将軍が受章者なのは知っていたが、彼以外にも何人かいるのは知らなかった。勿論、ドイツ人将校だけだ。他の「東方部隊」の指揮官で騎士十字章の受章者は、どの位いるのか知らないが、二線級扱いされていたから、そんなにいないはずだ。ドイツ人がコサックの服装をしているのは、英仏の植民地軍も現地の風俗に同化しているのを思い出した。1947年に死刑になったフォン・パンヴィッツがロシア連邦から名誉回復の処置が執られているのも知らなかった。日本人ならともかく、ドイツ軍人でも「名誉回復」の対象になるとは思わなかったが、第15コサック騎兵軍団はソ連で赤軍と戦ったわけではなかったからだろうか。この部隊の主戦場はユーゴスラヴィアで、イタリアにも展開していたし、イギリス軍に降伏してソ連に引き渡されたのはオーストリアだ。クラスノーフがドイツ軍の軍装をしている写真が何枚かあったが、襟章がなく、肩章もロシア軍式のようだ。ドイツ軍は彼専用の軍装を認めたのだろうか?ヴラーソフはドイツ軍占領下のロシアへ視察旅行をした時から独特の軍装(階級章がないので、ロシア革命の頃に革命家が着ていたフレンチみたいな服装に見える)をするようになったのに似ているのだろうか。「収容所群島」に名前が出て来るコーノノフ少佐の写真は見た事があるものだが、それとキャプションがついていた。この人物は赤軍の出身だからソ連へは無条件に引き渡されるはずだが、ソ連に引き渡される前に脱出したとか。この部隊はソ連出身者もいるが、革命と国内戦後に亡命した人もいるのに、イギリス軍はそこまで「選別」しなかったわけだ。フォン・パンヴィッツが上層部に報告した文書の引用があって、正教会をはじめ、色々な宗教について列挙されている。勿論、ユダヤ教はない。代わりに神道の信者が言及されていたから、何か異様な感じがする。「満洲」へ亡命したコサックは正教会の信徒だと思っていたが、わざわざ第15騎兵軍団に志願しにドイツへ行くとは物理的にも不可能だが。シベリア鉄道に乗って、トルコ、ブルガリア経由でドイツに行った日本人はいても、亡命者では逮捕されるのが落ちだ。仏教ならばカルムイク人がチベット仏教を信仰しているから、まだ分からなくもないが、神智学にかぶれた人が仏教に帰依したのだろうか?
 クラスノーフは「10月25日」のあと、ケレンスキーからペトログラードに派遣された部隊の指揮を執って、ボリシェヴィキの捕虜になったが、宣誓解放された事がある。ボリシェヴィキはカデットの指導者は問答無用に殺したのに、この時点では「紳士的」だったわけだ。勿論、クラスノーフはシクーロと共に南部戦線で戦ったから、「紳士的」ではなかったが。